17日は未明にキャンプ・シュワブの旧ゲートから資材の搬入が強行されている。また、ゲート前の抗議行動を牽引している山城博治さんが沖縄県警に一時身柄を拘束され、抗議した市民が取り返すということもあった。ゲート前からそういう報告を受けたあと、瀬嵩の浜からカヌー18艇と船3隻、ゴムボートが海上抗議行動に出発した。
瀬嵩側に南北に伸び、オイルフェンスと新型フロートで二重になった障害物を乗り越えて、大浦湾を東に進んだ。米軍のプライベートビーチの前にはクレーン付台船が1隻停泊しているが、クレーンは下りたままとなっている。そこに向かって漕ぎ進んでいくと、海上保安庁のゴムーボートによる拘束が始まった。二度拘束がくり返されたあと、海保はゴムボートにカヌーを横付けしたまま瀬嵩側のフロートまで曳航していった。
拘束は午前10時15分頃から午後4時半頃まで続いた。瀬嵩側の新型フロートから自力で出ろ、という海保に対してカヌーチームのメンバーは、カヌーと同行していた勝丸の所まで戻すように要求し、膠着状態が続いた。
カヌーチームは船のチームと一体となって抗議行動を展開している。カヌー5~7艇に1隻の船が同行し、急病や疲労、事故、寒さなどで漕げなくなったメンバーを乗せたり、曳航して移動したりなど、船に助けられながらカヌーチームは活動している。船にとってもカヌーが周りにいることにより、海保が船に乗り込んできたとき、カヌーが抗議したりカメラを向けることで、暴力を抑制することにつながっている。
海保の好き勝手にカヌーを拘束し、船と分断して遠く離れた場所で解放する。その最もひどい形が沖合でのカヌーの放置だった。「安全確保」を名目に抗議行動への弾圧を正当化し、恣意的に拘束と解放をくり返すことに抗議して、チーム全体で勝丸に戻すように要求を続けた。
昼食もとれず、トイレにも行けないまま拘束が続いたが、午後2時過ぎ、海保はしびれを切らしたのか、カヌーメンバーを乗せてゴムボートを汀間漁港に移動した。それからさらに2時間やりとりが続いた。17日は晴れて大きな作業もなかったので、たんに受け身的に拘束されるのではなく、チーム全体で抗議の意思を示し、午後4時半頃に勝丸が待つ瀬嵩の浜に移動した。
17日は作業船が「米国海兵隊施設・区域」と表示した俵型の浮きをオイルフェンスや新型フロートに設置している。しかし、新型フロートやオイルフェンスは大きく蛇行し、境界線はぐちゃぐちゃになっている。「どこから臨時制限水域なのか?」と海保に訊ねたら、「沖縄防衛局に訊いてくれ」という答えが返ってきた。
先週まではオイルフェンスに足を乗せただけで目くじらを立てていたのだが、沖縄防衛局がオイルフェンスを撤去したり、大きく移動して新型フロートに密着させたせいで、海保もはっきり分からなくなっているらしい。勝手に臨時制限水域を拡大して「米国海兵隊施設・区域」と表示する。これで沖縄の「負担軽減」などとよくも口にできるものだ。