23日は辺野古の松田ぬ浜から19艇のカヌーと1隻のゴムボートが出発した。準備をしているとき、沖合に見える強襲揚陸艦に浜から出た米軍の水陸両用車が海上を進んでいった。沖縄は朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍の出撃及び兵站基地として重要な役割を果たした。アフガニスタンやイラクに対する米国の軍事侵略にも沖縄で鍛えられた部隊が送られている。
米軍に侵攻され、破壊と殺戮を受けた地域の人たちに沖縄はどのように見えているか。米軍のために新たな基地を造って提供しようとしている安倍政権はどのように評価されているか。キャンプ・シュワブのゲート前に立っていると砂漠戦用の茶色のハンビーが日に何度も出入りする。イスラム国の問題が連日報道されているが、沖縄で鍛えられた米兵たちが中東で何をしてきたか、という視点を欠落させてはならない。テロリストの残忍な殺戮を批判するなら、米軍によって殺されていったアフガニスタンやイラクの市民のことも思う必要がある。それと沖縄がどうつながっているのかも。
松田ぬ浜を出て辺野古崎までカヌーを漕ぎ、二重に設置されたフロートを越えた。辺野古崎付近の兵舎などが解体されたあとは整地作業が行われているのだろうか。目隠しのフェンスやアダンの繁みの向こうではバックホーが作業を行っていた。
瀬嵩方面にいた海上保安庁のゴムボートがカヌーチームを見て、全速力で大浦湾を移動してきた。カヌーチームのまわりを囲んでいつものように規制を始める。米軍のプライベートビーチ近くから大型ブイを積んだ作業船が設置作業に向かうのが見えたので、カヌーチームはそれに向かって進んでいった。数百メートルの距離があるにもかかわらず、海保はカヌーや市民船の行く手を阻み続け、最後は不当拘束を行ってカヌーメンバーを長島・平島の沖まで運んでいった。
午前11時頃、拘束を解かれてカヌーチームは平島まで移動し、休憩と昼食をとった。午前中は曇り空だったが、午後は青空も見え透明な海の美しさを引き立てる。そこに巨大なコンクリートブロックを投入しているクレー付大型台船にフロート沿いに近づきながら抗議行動を行った。
最初はフロートに近づくだけで拘束していたのを粘り強く抗議を続け、進路ををふさぐ海保のゴムボートと一進一退しながら前に進んでいった。警戒を高めた海保のゴムボート数隻がオイルフェンスの中に入り、前があいたのでトンブロックを海に下ろそうとしている大型台船の前まで進み、数艇のカヌーがオイルフェンスを越えて抗議を始めた。オイルフェンスの内外で拘束が始まり、再び強制的に平島・長島まで移動させられた。
前日2日に海保が行った暴力的な弾圧の様子を3日付沖縄タイムスが写真入りで報じている。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=101426
背後から近寄ってカヌーの後ろに飛び移り、意図的に転覆させて拘束するというのは、一歩間違えば大きな事故につながる。自分が不意に冬の海に落とされたことを想像してみたら、そのやり方のひどさが分かるはずだ。こういう行為のどこが「安全確保」なのか。わざわざすぐに戻れない沖までゴムボートで強制的に運び、カヌーで戻れ、と指示するのもあえて危険な状態にさらすものだ。
作業現場から遠ざけたいのなら長島・平島の沖ではなく、瀬嵩の浜近くにゴムボートで移動させてもいいはずだ。その方がはるかに安全であり、カヌーも自力で浜に戻れる。やろうと思えば簡単にできるのに、あえて危険な沖にカヌーを運んでいる海保の言う「安全確保」とは、新基地建設に抗議する市民を弾圧するための目くらましでしかない。海では海保の、陸では機動隊の暴力に支えられて進められている大浦湾の破壊を許してはならない。