9日は曇り空で少し冷え込んだが、風や波は穏やかでカヌーを漕ぐのも楽だった。午前9時40分頃にカヌー12艇、サップ2艇で辺野古の「松田ぬ浜」を出ると、フロート付近を通って辺野古崎を目ざした。
辺野古の浜から金網フェンス越しに、キャンプ・シュワブの浜に面した壁に赤くペンキが塗られている部分が見える。そこにはドクロを中心にナイフと杭が交差し、ダイバーと翼が左右に描かれている。先だってアスベストが問題となった兵舎の取り壊しのとき、壁に黒いペンキでドクロの絵が描かれているのが見えた。米海兵隊という殺戮と破壊のプロ集団は、よほどドクロが好きらしい。
辺野古の状況を知るためにやって来た小中学生や高校生のことが、最近はよく新聞記事になっている。自分でお金を工面して滋賀県から来たという小学5年生が、今日は最終日だということで船に乗ってカヌーチ-ムを激励してくれた。しばしカヌーを漕ぐ手を休めて歌に聴き入った。
そのあと船にサポートしてもらいながら大浦湾を北に向かって漕ぎ、カヌチャの浜に上がって休憩をとった。大浦湾も波が穏やかで、みな往復を難なくこなしていた。
午前中、辺野古崎の先端近くに監視カメラが設置された。そばには他に2基の監視カメラが設置されている。大型の1基は海に向けられているが、360度回転できて望遠機能もかなりあるだろう。沖縄防衛局は辺野古崎付近で「仮設桟橋」を建設しようとしている。それに反対する海上抗議行動を弾圧するための準備であることは言うまでもない。
大浦湾の深場で海底ボーリング調査を行うために大型スパッド台船が使用されるが、そのために「仮設桟橋」が必要というのはまったくの嘘だ。そもそも沖縄防衛局は3月末までに海底ボーリング調査を終えるとしているのであり、「仮設桟橋」の工事と海底ボーリング調査を同時に進めるというのは理に合わない。「仮設桟橋」など無くても大型スパッド台船による調査は可能なのであり、沖縄防衛局の狙いは海底ボーリング調査が終わらないうちから、実質的な埋め立て工事を始めることにある。
辺野古の海、大浦湾をカヌーで漕いでいると、辺野古崎と長島の間、そして平島と長島の間の2箇所の潮の流れが、辺野古の海の生態系に大きな意味を持っていることが分かる。この2箇所の潮の流れがあるからこそ海の透明度が保たれ、日光が入ってサンゴや海草の成長が促されるのだ。「仮設桟橋」が建設され、辺野古崎と長島の間の潮の流れが堰き止められて滞留すれば、海の透明度は低下し、サンゴや海草に影響を与えるのは目に見えている。
さらに潮流の変化によって海岸線の浸食や土砂の堆積などが連鎖的に起こり、長い年月をかけて造られてきた自然のバランスが崩れていく。そうやって辺野古の海、大浦湾に取り返しのつかないダメージを与えること。それこそが沖縄防衛局の狙いである。まさに破壊のための破壊であり、辺野古の海を潰すため急所に一撃を加えること。それがこの「仮設桟橋」の狙いであると私は考えている。
同時にそれは辺野古の海と大浦湾を往復するカヌーや船の通路をふさぐ役割も果たす。昨年夏、海上保安庁は辺野古崎と長島の間を抜けようとするカヌーや船に対し、臨時制限水域を理由に通行を妨害しようとした。それがしだいに崩されていったことへの対策の意味もあるのだろう。長期にわたる埋め立て工事の期間中、辺野古崎と長島の間を遮断して抗議行動を足止めすることを沖縄防衛局は狙っている。
辺野古崎での「仮設桟橋」の工事はそれだけ大きな意味を持っているのであり、それがいよいよ来週から始まろうとしている。「仮設」という言葉にごまかされてはいけない。辺野古の海、大浦湾の本格的な破壊が始まろうとしているのであり、多くの人が海とゲート前に集まって阻止行動に参加してほしい。
アスベストの使用が問題となった3棟の兵舎の解体工事は、北側の棟につづき南側の棟もほとんど終わり、鉄筋が山積みとなっていた。さらに飛散性の高いアスベストが使用されていた真ん中の棟も、中の壁はなくなっている。これも来週中には終わりそうだ。兵舎の奥にある建物の解体工事も進められている。陸上部では作業ヤードの準備が進んでいる。
9日はMV22オスプレイや攻撃用ヘリが飛行しているのが海から見えた。浜の護岸の上に見える人影は海兵隊員で、100名ほどがいくつかのグループに分かれて集会を持っていた。
浅瀬ではソフトコーラルや海草が生育し、スヌイ(モズク)も生えている。海から顔を上げれば集会を開いている海兵隊員たちの姿が見える。基地さえなければ子どもたちの学びの場として海が生かされるだろうに。
先の県知事選挙では「基地は沖縄経済の阻害要因」ということが言われた。大浦湾をはさんでカヌチャから辺野古崎を見れば、基地が撤去されたあとの可能性の大きさが分かる。この海を埋め立ててしまえば、やんばるから大きな可能性が消えるのだ。
大浦湾から戻って辺野古崎を通り、午後1時半過ぎに松田ぬ浜に戻った。来週はこの穏やかな海の表情が一変するだろう。好きでたたかうウチナンチューはいない。たたかわなければ自分たちの生活が破壊され、子や孫たちまで軍事基地の苦しみを味わい続ける。だから仕方なく立ち上がるのだ。そういう理不尽な状況に沖縄は70年も置かれている。この怒りは静めようがない。