沖縄県知事選挙の結果を無視した浮き桟橋の設置に怒りが込み上げ、居ても立ってもいられなかったのだろう。20日はカヌー22艇とサップ1艇が海上抗議行動に参加した。船で浮き桟橋の近くまで曳航してもらい、午前中は前日設置されたオイルフェンス付近で作業に抗議した。
浮き桟橋の近くでは、鉄板を重ねたアンカーを下ろし、クレーン車で移動する作業が行われていた。大浦湾や辺野古崎周辺にフロートやオイルフェンスを設置する準備であろう。
東側の米軍のプライベートビーチでは、前日に下ろしたオイルフェンスをクレーン車で移動していた。連結したあと船で海に引き出せるよう準備が進められている。浮き桟橋には海上保安庁のゴムボートが並び、明日にも設置作業が行われるかもしれない。引き続き、多くの人がカヌーや船の行動に参加してほしい。
午後2時頃、海上保安庁の保安官たちが現場責任者を先頭にぞろぞろと浮き桟橋に現れた。午前中、浮き桟橋には海保のゴムボートが6隻並んでいたが、陸に置かれている6隻をクレーン車で海に下ろし、浮き桟橋に並べようとした。フロートやオイルフェンスの設置作業に向け、弾圧態勢を強化するためであり、それを許してはならないとカヌー隊で激しく抗議した。
抗議行動は40分以上続き、19艇のカヌーが不当拘束されたが、1時間ほどして全員が解放された。8~9月に辺野古の浅瀬で行われた海底ボーリング調査から2ヶ月が経ち、再び海保の弾圧に抗して海のたたかいが始まった。県知事選挙で示された沖縄県民の民意を踏みにじり、工事を強行する日本政府・防衛省に対して、体を張ってでも抗議しなければ、埋め立てによって貴重な海が破壊され、失われる。
キャンプ・シュワブのゲート前では、資材を搬入する工事車両に抗議の座り込みを行っていた住民を機動隊が暴力的に排除し、辺野古の島袋文子さんが倒されて頭を打ち、救急車で県立北部病院に運ばれている。大きな怪我にはならなかったようだが、国家の暴力装置を使って海でも陸でも住民を排除する横暴を、断じて許してはならい。
民主主義は選挙で1票を投じて終わりではない。かつて日本復帰前の沖縄には、ヤマトゥでは当たり前だった「戦後民主主義」も「日本国憲法」もなかった。沖縄では民主主義は、米軍の圧政に抗して、民衆の直接行動で勝ち取ってきた。ゲート前は連日緊迫した状況にあるが、ぜひ勇気をふるって抗議行動に参加してほしい。かつて米軍に銃剣を突きつけられてもひるまずにたたかったウチナンチューの先人の意思を継ぎましょう。