辺野古漁港近くの道路脇にウスクガジマルの木が生えている。台風の塩害で葉がすっかり落ちていたが、すぐに芽吹いて晩秋なのに艶やかな若葉を光らせている。10月も終わりに近づき、クロイワツクツクとオオシマゼミの鳴き声が森に響いている。
寄贈してもらってからすぐに使い始めたこともあって、軽トラックとカヌーに名前を書き入れるのが遅くなってしまい、カンパしていただいた皆さんに迷惑をかけてしまった。辺野古住民のKさんがていねいにペンキで名前を書いてくれた。毎日有り難く使わせてもらっています。あらためて感謝します。
20数年前、茨城県で出稼ぎをしていたとき、常磐線に乗っているとジーマミ(地豆=ピーナッツ)畑を目にし、いかにも肥えていそうな黒土が羨ましかった。沖縄のヤンバルからヤマトゥに行くと、土が黒いことが珍しかった。
30日は辺野古の浜を出発してフロート付近から辺野古崎まで漕ぎ、長島の間を抜けて大浦湾を漕いでから辺野古の浜に戻った。障害物のない海では、陸では何でもないと思っていた風が、予想以上に強く吹きつける。行きは北風(にしかじ、今帰仁では「にしはじ」という)に抗って漕ぎ、大浦湾ではうねりもあったので、いい練習になった。
問題となっているアスベストが使用された3棟の隊舎は、海からだとよく見える。辺野古崎近くにあり、写真の右端の隊舎は屋根の上まで単管が組まれ、カバーが張られてアスベストの除去や解体作業が進められている。その左側の真ん中の隊舎で、飛散性の高いアスベスト=レベル2が使用されている。
県知事選挙を前に、沖縄防衛局も県の担当部局もゲート前の抗議行動に対し、事を荒立てないようにしているようだ。しかし、県民を欺いて秘密裏に作業を進めるのが沖縄防衛局のやり口だ。海でも陸でも監視を強めていきましょう。
朝、辺野古の浜を出るときに水陸両用車が次々と姿を現し、11台が浜に並んだ。お昼頃、カヌーの練習を終えて浜に戻ると、沖合に強襲揚陸艦・ペリリューらしき軍艦が姿を見せ、浜では水陸両用車の乗員が集まってミーティングを行っていた。30日の練習は午前中だけだったので、午後の水陸両用車の動きは確認していないが、強襲揚陸艦と連動して訓練を行ったと思われる。
カヌーの片づけを終えると、支援の皆さんがテント村2でたこ焼きを作ってくれ、ご馳走になった。カヌー隊のみんなにとても好評で、連日の心づくしが有り難い。
30日は沖縄県知事選挙の告示日だった。辺野古新基地建設反対を公約に掲げている翁長雄志候補が、キャンプ・シュワブ・ゲート前のテントを訪れ、多くの参加者が迎えたとのこと。辺野古新基地建設問題が最大の焦点となっている今回の選挙には、4人が立候補している。推進、反対、県民投票、承認取り消しなど主張は違うが、辺野古のゲート前のテント村であいさつをしたのは(できたのは)翁長候補者のみだ。そのことの意味は大きい。
普天間基地は危険だから辺野古に新基地を造る。それは「危険性の除去」ではなく、沖縄県内で危険性をたらい回しにしているにすぎない。仲井真知事の主張は、名護市民、北部住民は危険にさらしてもいい、と言っているのと同じだ。この人物だけには、いい正月を迎えさせてはならない。辺野古新基地建設、高江ヘリパッド建設を阻止するために、あらゆる手を尽くしましょう。