15日は前日と打って変わって晴れ間がのぞく1日となった。「稲嶺ススムと共に歩む市民の会」を訪ね午後から辺野古・豊原・久志地域の街宣活動を手伝わせてもらった。過疎と就職難はやんばるが抱え続ける問題だ。仕事が増えるなら埋め立ても仕方がない。そう口にする辺野古の皆さんもいる。しかし、そういう人たちでも手放しで辺野古「移設」を肯定している人は少数だ。
キャンプ・シュワブが返還されてそこにリゾートホテルが建設されるなら、それに越したことはない。誰も好きこのんで普天間基地を辺野古に「移設」させようとしているのではない。理想論だけでは食べていけないんだ。以前、新基地建設を進めている辺野古の有力者がそう口にするのを聞いた。
沖縄では基地問題は生活と密着している。基地への依存を脱却するのは、口で言うほどたやすいことではない。しかし、名護・やんばるに住む私たちはよくよく考えなければならない。政府や仲井真知事が進めようとしているように普天間基地を辺野古に「移設」し、嘉手納より南の基地が返還されればどうなるか。
中南部は基地の返還跡地を再開発して発展するだろう。しかし、基地が集中した名護・やんばるは生活環境が悪化し、中南部に人が流出して寂れていくのが目に見えている。とりわけ東海岸は基地の掃き溜めとなって、住民は基地被害に苦しめられる一方で、沖縄の中でさえ忘れられていくのが落ちだ。
ヤマトゥからウチナーへ。さらにウチナーの中でぺーカタ(中南部)からヤンバルへ。より抵抗力の弱い少数者へ犠牲を移し強要する。そういう負の連鎖と沖縄の分断統治を許してはならない。
街宣活動の途中に「辺野古命を守る会」の事務所に寄って挨拶し、終了後は「辺野古選対事務所」に寄った。選対事務所は連日、各地から多くの人が支援に訪れている。
夕方からはいつものようにキャンプ・シュワブのゲート前で国道を行く車に手振りを行った。前日は雨で冷え込んだので、辺野古のお年寄りの皆さんにはやすんでもらった。今日は天気が持ち直したので、防寒対策をして歩道から稲嶺市長の再選を訴えていた。辺野古の皆さんの思いと頑張りに、私も力をもらっている。