25日は辺野古に行き、キャンプ・シュワブフェスタを見てきた。米軍基地内に入れるのはこういう時くらいなので、限られた範囲ではあれシュワブ内の様子を見に行った。写真の兵舎は辺野古の浜から見える建物。3年前に通った時は建築されたばかりで、まだ内装工事も終わったいないようだったが、今回は所々に明かりがついていた。兵士の多くは祭り会場に出かけていたのだろう、窓にカーテンが掛かって明かりの消えた部屋が多かった。空いている部屋もけっこうあるようだったが、はっきりはしない。
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が、普天間基地の司令官に風俗業の活用を求めた件で、米軍と米国民に謝罪と発言撤回の意を示している。米国の反発には対応する一方で、沖縄への謝罪はない。本心から反省しているなら、沖縄を無視することはないはずだ。しょせんは政治的乗り切りを図っているだけの、上辺だけの謝罪なのが見え見えだ。
キャンプ・シュワブに増築された兵舎を目にする時、シュワブ周辺に風俗店を乱立させろ、と言っているに等しい橋下市長のでたらめさが、いっそう明らかになる。国土面積の0.6パーセントにすぎない沖縄に、米軍専用施設の74パーセントが集中している。そのため基地のすぐそばに住宅が密集し、教育施設があるのが沖縄の現状だ。そういう地域の生活・教育環境に与える影響を橋下市長は考えたこともないだろう。
ベトナム戦争の頃、米兵が落とす金で儲かった。そういう昔話を懐かしそうに語る飲み屋の主人が、時折マスコミで取り上げられる。ドル紙幣にサインしてベトナムに行った兵士は帰ってこなかった。そう口にして物悲しそうな店主の表情が映し出される一方で、沖縄から出撃した米軍に殺されたベトナムの人々の苦しみは省みられない。ドルが乱れ飛ぶ裏で、米兵を相手に生きざるを得なかった女性たちが、どれだけの暴力と犠牲にさらされたかについても。
辺野古への新基地建設を容認したうえで、米軍犯罪には風俗店で対応する。橋下市長の「風俗業活用」発言とそこに示される認識は、沖縄の歴史や現実に目を向けず、徹頭徹尾、沖縄県民を愚弄するものでしかない。橋下市長の謝罪と撤回は、まず沖縄県民に向かって行うべきことだ。
フェスタ会場入口近くには毎回、戦闘車両が展示されている。25日はAAV7水陸両用強襲車(上3枚)とLAV25軽装甲偵察車(下4枚)が展示されていた。帰りにもう一度寄ると、LAV25は25ミリ機関砲の砲身をはずして後部ドアから中にしまっていた。沖縄人、日本人の見学者は会場全体の1割ほどで、ステージや出店の賑わいに比べ、戦闘車両の見学者は少なかった。
いくつかの米軍基地のフェスティバルを見ているが、やっていることはだいたい一緒で、ダンスショーやロックバンドの演奏があるステージと出店、遊園地、兵器の展示を中心に、いくつかその基地なりの企画が加わる。
午後7時にラッパが鳴り、5分後に国旗が降ろされると、直前までロック・バンドの演奏で騒いでいた米兵たちが、瞬時に直立不動の姿勢をとって国旗に向かう。終わるとすぐに元の騒ぎに戻るのだが、会場には迷彩服姿のMPが各所にいて警戒を怠らない。軍用犬をつれた兵士たちの後方の建物は映画館で、辺野古崎東端の娯楽施設などがある場所がフェスタ会場となっている。
Tシャツ姿でロックや出店を楽しんでいる若者たちも、戦闘服を着て銃を手にすれば、米国の国家意思を体現して侵略戦争の担い手となる。そして彼ら自身、命を失い、心身を破壊されてきた。イラクのファルージャで住民虐殺を行ったのは、キャンプ・シュワブやキャンプ・ハンセンで訓練を積み派兵された兵士たちである。祭りが終われば兵士たちは訓練に戻る。米軍の攻撃を受ける側の者が見れば、これらの写真も「悪魔の島」の一コマだろう。
フェスタ会場から辺野古崎の海岸と海を眺めた。この砂浜と海を埋め立てて、滑走路に港湾機能も備えた新基地が建設されようとしている。陸上部の施設は建設が着々と進められており、強い危機感を抱かざるを得ない。沖縄が「悪魔の島」であることを止めるために、辺野古新基地建設を何としても阻止し、米軍が沖縄から出ていく状況をつくり出したい。