沖縄は14日に梅雨入り宣言が行われ、15日は時おり土砂降りの雨が降る1日だった。41年前の「日本復帰」の日も同じように雨だったな、と思いながら高江に向かった。雨と霧のなかで午前10時半からメインゲート前で水曜行動を行ったが、この日は米軍車両の出入りもほとんどなく、県道を通る車も少なかった。
昼食後、午後1時から古堅実吉さんを講師に招いての学習会第5回が開かれた。1958年8月6日の原水爆禁止沖縄県協議会結成から60年4月28日の沖縄県祖国復帰協議会結成、同年6月19日のアイゼンハワー大統領来沖、61年4月21日の立法院の住民代表国会参加要請決議、62年2月1日の施政権返還要請決議までを詳細に語っていた。次回は67年の教公2法阻止闘争から72年の「復帰」までが語られる予定。
やんばるはイジュやサンニンの花が満開だが、野ボタンも咲き始めた。メインゲート近くの雨に濡れた花。
高江では道端にキキョウランの花がよく咲いている。N4テントの近くでも花や紫色の実を目にできる。5・15で集会やシンポジウム、デモなどが行われていて参加したかったが、色々とやらなければならないことがあって見送った。
橋下市長の暴言に対する反発が広がっている。先に行われた4・28「主権回復記念式典」とあわせて、日本の政治家が沖縄の歴史と現状に対して無知をさらし、沖縄人への侮辱的態度を示す事件が続いている。それは単なる政治家の世代交代によるものではない。日本=ヤマトゥを生かすために沖縄を犠牲にする思考と行動は、「沖縄族」と呼ばれたかつての政治家から一貫して続いている。それがより露骨かつ乱暴になっている今、日本国家に組み込まれていることでこれから沖縄で何が起こるか。そのことを考えるとき、琉球・沖縄独立はもはや理論、観念のレベルにとどまる問題ではない。