25日(木)は辺野古崎で海上大行動を行った。
2017年4月25日に沖縄防衛局はK9護岸の着工をもって、埋め立て工事の開始を宣伝した。
以来、毎年4月25日にはK9護岸の前で海上大行動を開いてきたが、今年はK5~K7護岸の建設が行われている辺野古崎に場所を変え、カヌー28艇(乗員29人)、抗議船4隻(平和丸、不屈、翔也丸、美ら海)、ゴムボート1隻(ポセイドン)が参加した。
カヌーメンバーは午前8時36分頃に松田ぬ浜を出発し、辺野古崎まで漕いだ。
辺野古崎に着いたカヌーメンバーは、全国から寄せられたバナーをオイルフェンスに張り付け、新基地建設反対の声をアピールした。
沖縄はもう梅雨に入っているようで、連日の雨の合間をぬっての集会となった。
集会では主催者を代表してヘリ基地反対協議会の仲本興真さんが挨拶し、シュプレヒコールを行った。
平和の鐘が鳴らされたあと、連帯の挨拶として本部町島ぐるみ会議の原田みき子さんが、本部港塩川地区での取り組みを話した。
辺野古の海を埋め立てる土砂の量を減らすため、少ない人数でも連日阻止行動を続けている。その中で、疲労が重なって3人の仲間が亡くなったこと。長い取り組みの中で現場の作業員との交流も生まれていることなどが切々と語られていた。
続けてカヌーチーム各班から一言メッセージがあり、声明文が読み上げられたあと、シュプレヒコールで集会を閉じた。
途中から雨が降り出したため、予定より早く終わらざるを得なかったが、連日工事が進められている辺野古崎で大行動が行えたのはよかった。
多くのカヌーや抗議船が集まることを警戒したのだろう、前日まで捨て石が投下されていたK7護岸では、作業員も姿を見せず工事が止まっていた。
この日はガット船も午前中は入らず、N2護岸で土砂の陸揚げが行われているだけだった。
K9護岸の着工から7年が経ち、2014年8月のフロート設置からはもうすぐ10年となる。
辺野古の海も大浦湾も破壊が進み、松田ぬ浜から辺野古崎まで続いていた砂浜も埋め立てられ、醜い消波ブロックが壁を成している。
そして、K7護岸の建設が進みK6護岸とつながれば、辺野古崎の海岸は失われる。
かつて砂浜の奥にアダンの緑が茂り、ウミガメが産卵に訪れ、地元の住民が貝やタコを採って生活を支えた海岸が破壊され、埋め立てられるのだ。
最悪なのはそこに造られるのが、辺野古弾薬庫から運ばれてきた弾薬を積み込む装弾場であることだ。
なんと愚劣で、おぞましく、許しがたいことだろうか。そこで積まれた弾薬が、いつか、どこかで人を殺すのだ。
それを止められないことが悔しくてならない。
大行動を終えてカヌーを片付けたあと、テント2の周りの草刈りをした。
ふと見ると、帽子にカマキリの子どもがとまっていた。
まだ卵からかえって間もないのだろう。3センチほどのカマキリをアコウの葉に乗せてやった。
春になって新たな命が芽吹いている。5月になればアカウミガメの産卵が始まる。しかし、多くの砂浜が破壊され、産卵場所は減るばかりだ。
人間が他の生物や自然環境を「保護」するというのは傲慢な発想だ。人間がやるべきは、他の生物の生存を脅かすことを止める努力を続けることだ。