24日(水)は午前11時47分頃に辺野古の新工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
40人近い市民がゲート前に座り込んだり、歩道でプラカードを掲げて資材搬入に抗議した。
辺野古の新基地建設は機動隊や海保という警察組織=国家の暴力装置が市民を強制排除することで初めて可能となっている。
1950年代には米兵が市民に銃剣を突きつけ、沖縄人の土地を取り上げていったが、今は住民排除の役割を日本の公僕がになっている。
なんとしても沖縄に米軍をとどめておきたい日本政府は、金も公僕もいくらでも提供し奉仕する。軍事植民地のおぞましい風景だ。
生コンのミキサー車はK6護岸の天端の型枠に入れる材料を運んでいるのだろう。
トレーラー車で運ばれてきた黄色い鉄の板がどこで使われるか注意したい。
他に発電機や再生材、K7護岸建設用の石材、空のダンプトラックなどが入った。
この日は朝、ガット船2隻(marumasa10号、第七太海丸)が大浦湾に入り、ランプウェイ台船に土砂を積み替えていた。
午後12時19分頃、土砂の積み替えを終えたランプウェイ台船・明神3号がN2護岸に着岸しようとしていた。
午後1時半頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
N2護岸には明神3号が着岸していたが、まだ土砂の陸揚げは行われていなかった。
午後1時48分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。
N2護岸上にはダンプトラックが並び、土砂の陸揚げが始まっていた。
赤白のクレーン車がもっこを吊り下げていて、K7護岸では捨て石の投下が行われていた。
K9護岸には空のランプウェイ台船が接岸し、K8護岸ともに土砂の陸揚げは行われていなかった。
海上ヤードの建設場所では、ランプウェイ台船から石材が海に投下されていた。