4日(水)はカヌー3艇と抗議船1隻(平和丸)で海上から工事の様子を監視した。
午前8時2分頃、カヌーで松田ぬ浜を出発した。平和丸に乗るため航路近くまで漕いだが、沖の方を米軍ヘリ4機が低空で訓練していた。
波が高いので大浦湾に出るのはやめて、辺野古崎付近でK6護岸建設の様子を監視した。
この日は午前8時30分頃、ガット船4隻が大浦湾に入った。
天端の鉄板をはずして投下した砕石をバックホー叩き、均していた。クローラークレーンの足場を造り直しているようだった。
その作業がまだ続きそうで、風も強くなってきたので半時間ほど様子を見て引き上げた。
午前9時頃、カヌー3艇が松田ぬ浜に戻った直後、サイレンが鳴り響き津波警報が発令された。
沖縄島では午前10時頃に3メートルの津波が来る、とのことで急いでカヌーと船を片づけ高台に避難した。
午前10時42分頃、豊原の高台から見た辺野古側埋立工区の様子。
さすがに工事も止まり、人の姿は見えなかった。
辺野古新基地建設では、3・11東日本大震災のあと、護岸の高さが10メートルまで引き上げられている。
しかし、大浦湾側の滑走路建設予定地下に辺野古断層、埋め立て地の外縁そばに楚久断層と、二つの断層が伸びている。
能登半島地震のニュースの中で、海底の活断層はほとんど調査されていない、との記事が報じられていた。
軟弱地盤に活断層という、本来は造るべきでない場所で新基地建設が強行されている。
その予算は私たちの血税から出ている。これから10数年、予算と時間を浪費しても普天間基地が返還される保証はない。
滑走路が短い辺野古新基地は固定翼の輸送機が使えず、普天間基地の「代替施設」にはなり得ないのだ。
ゼネコンと軍需産業を儲けさせ、普天間基地の長期使用を図る辺野古新基地建設というまやかしを、1日も早く終わらせないといけない。