写真は4日の午後1時5分頃に撮影したもの。美謝川切り替えの午後の工事が始まり、国道329号線の西側(辺野古ダム側)では立坑にハンドガイドローラーを下ろしていた。
立坑の底の転圧を行うなら、予定の深さまで掘り進んだということだろうか。
立坑奥の仮設道路では、入り口をふさぐ形で掘り出した土砂が積み上げられ、バックホーが叩いて固めていた。
作業員が立つ上部には水糸が張られていた。
4見目の写真でオレンジ色のバックホーの後ろは谷になっていて、画面の左奥に伸びて函渠工につながっていく。
国道329号線の東側(第2ゲート側)では、立坑から掘り出した土砂をバックホーで片付けていた。
その横では作業員が砂を土嚢袋に入れ、それをフレコンバッグに入れていた。
フレコンバッグは立坑周辺の斜面に大量に積み上げられている。
昨日も紹介したが、新しく作られた第4ゲートの奥の方では、美謝川切り替えの函渠工が行われているようだ。
ボックスカルバートを使い暗渠が造られる。
ボックスカルバートを吊り下げていた青いクレーン車の近くに黄色いクレーン車があり、そこから海側の方に向けて茶色い鋼矢板が壁(フェンス)を作っている。これも美謝川切り替え工事の一環なのだろう。
鋼矢板の下の海岸にはK9護岸があり、現在は大浦倭の埋め立てに使用する土砂の陸揚げが行われている。
K9護岸の向かって右側の小さな浜はクバマというが、そこに切り替えられた美謝川の河口が造られる。
この10年で浜とアダンの茂み、森が破壊され、周辺の景観も激変してしまった。なんと愚かなことをしているのだろうか。
辺野古弾薬庫新ゲート工事では、沈砂池を埋めた場所にボックスマンホールが新たに造られようとしている。
沈砂池の東側でも立坑が彫られ、排水施設と思われる工事が進められている。
美謝川切り替え工事が行われている上の電線にサシバがとまっていた。
私が子どもの頃は、秋の運動会シーズンになると鷹柱が見られたのだが、あの風景はもう戻らないのだろう。
日本復帰後、ヤンバルの森も海も破壊される風景ばかりを見てきた。情けないかぎりだ。