28日(水)は午前8時57分頃にキャンプ・シュワブ工事用ゲート前に行き、この日1回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。
仕事納めの28日に国は、大浦湾の埋め立て工事を強行するため代執行という強権を発動した。そのことへの怒りをもって冷たい雨が降るなか60人余の市民がゲート前に集まった。
辺野古の島袋文子さんや大城敬人議員も参加し、ゲート前に座り込んだ。普天間基地の名護市辺野古への「移設」問題が起こってから27年、一貫して反対の声をあげ、行動してきた二人だ。
昨日27日は仲井真元知事が辺野古沿岸部の埋め立て承認を行ってから10年の節目だった。10年かけて辺野古側の埋め立てが行われ、これからあと12年かけて大浦湾側の埋め立てと飛行場の完成を目指すという。
しかし、最深90メートルの軟弱地盤の改良工事という難題を抱えるだけではない。少子高齢化が進む日本は労働力不足の問題が深刻化し、残業規制、原材料の価格高騰などの問題にも直面している。工期が伸び、予算が増大するのは必至だ。
莫大な予算と時間を浪費するほどの財政的余裕がいまの日本にあるというのか。基地利権に群がるゼネコンや防衛族政治屋どもが喜ぶだけで、普天間基地の危険性は放置される。
今年は4月に宮古島で陸自のヘリが墜落し、搭乗員10人全員が死亡した。11月には米空軍のCV-22オスプレイが墜落し搭乗員8人全員が死亡した。
日本政府は中国に軍事的に対抗するため「南西シフト」強化を打ち出しているが、そのために重大事故が続発している。これは来年以降も続き、沖縄県民を巻き込む大事故がいつ起こってもおかしくない。
これから大浦湾の工事を強行したとして、日本政府は何事もなくことが進むと考えているのか。沖縄人はどうにでも扱えると考えているのか。
思考停止し、御都合主義で目をそらしているうちに、破局はすぐそばまで迫っているだろう。余りにも愚かだ。
20台ほどの工事車両が入ったが、ほとんどクラッシャーランを積んだダンプトラックだった。
この日の資材搬入は2回目までで、今年のゲート前の抗議行動も2回目で終了した。
年が明けて1月4日からは、大浦湾の工事に向けた機材や資材がゲートや海上から運び込まれる。現場での阻止・抗議行動により力を入れたい。
同時に、来年は衆議院選挙が早ければ4月にも行われそうだ。裏金問題で自公政権は窮地に陥っており、政権交代を実現することが、辺野古新基地を阻止する力にもなる。
明治政府による琉球併合以来、沖縄の近現代史は苦難の連続だが、どれだけ打ちのめされようと闘い続ける沖縄人はいた。腐りヤマトゥ政府の思い通りにさせてはならない。
うちなんちゅーぬちゃー、うしぇーらってぃやないびらんど―。ちゃっさ哀りしみらってぃん負きらんぐとぅ、ひやみかち起きみそーり。
午前10時42分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
K8・K9護岸から運ばれてきた土砂が、②工区の中央部とK3護岸の近くに投入されていた。
こちらの投入は仮置きではないだろうが、辺野古側の埋め立てはいつ終わるのだろうか。
午前9時55分頃に辺野古弾薬庫側から、午前11時14分頃に瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。
K8・K9護岸ともにランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが行われていた。
ただ、この日はガット船が入っていなかったので、残りの5隻のランプウェイ台船には土砂が載っていなかった。今年の陸揚げ、埋め立て作業は午前中で終わったようだ。
瀬嵩の森のケラマツツジがつぼみを付けている。今年は台風6号で森の木々が痛めつけられ、このツツジも枝がだいぶ枯れてしまった。つぼみも例年に比べてかなり少ないが、開花は早いかもしれない。
午前11時50分頃、マリー道を通ると羽地内海にmarumasa5号や第百三十六伊勢丸などが入っていた。大半のガット船は塩川沖で年末年始を迎えるようだ。