18日(日)は午前11時から辺野古浜テント7000日集会が開かれたので参加した。
浜テントが設置される何年も前から、名護市民は辺野古の海に建設される普天間基地の「代替施設」に反対する行動を続けてきた。
私が初めて辺野古でビラまきを手伝ったのは、まだ宮古に転勤する前だったので、1996年の暮れ頃だったと思う。
1997年12月の名護市民投票の頃には、金曜日の午後の授業を終えると宮古空港に行き、飛行機で那覇に移動するとバスで今帰仁に帰り、土・日は集会やビラまきなどに参加し、月曜日の朝に宮古に戻っていた。
あれから辺野古新基地建設に反対するだけでも膨大な時間を費やしてきた。学生時代から通算すれば、基地問題で費やしてきた時間はどれだけになるだろうか。
私だけではない。沖縄に米軍基地が集中している現実がなければ、多くの沖縄人が反基地運動に費やす時間を、もっと生産的な活動に使うことができたのだ。そのことを考えるとはらわたが煮えくり返る。
沖縄に米軍基地を集中させている限り、日本人の大多数は米軍基地がもたらす被害を免れ、日米安保条約の問題を自分のこととして考えることもない。米軍基地から朝鮮やベトナム、アフガニスタン、イラクに出撃した米軍が殺戮をくり返しても、日本は憲法9条がある「平和国家」だという幻想に浸っていられる。
これから十数年、辺野古新基地建設が続いてその先に何があるか。そのときもまだオスプレイは沖縄の空を飛んでいるだろうか。普天間基地は返還されているか。想像するだけでもばかばかしい。
辺野古利権に群がる者たちのために、莫大な予算と多くの市民の時間が浪費される。辺野古新基地建設の現場を見ていると、日本という国が衰退する理由がよく分かる。
集会の後はティダの会のビラ配布を行った。今週は会員で手分けして、久辺三区で上のビラを配布している。
午後2時52分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。
K9・N2護岸には土砂を積んだランプウェイ台船が接岸していて、月曜日にはすぐに土砂の陸揚げができるようになっていた。
ガット船は4隻(marumasa5号、第五十一進宏丸、第八丸喜丸、第百三十六伊勢丸)が停泊していた。