以下に紹介する文章は、『新刊ニュース』1997年10月号に掲載されたものです。一部語句を修正してあります。
今、沖縄島から南西に三百キロほど離れた宮古島というところに住んでいる。山もなければ川と呼べるほどの流れもないこの島では、昔から台風と旱魃の被害に苦しんできた。最近ではコンクリート造りの家や地下ダムによって、だいぶ状況は良くなってはいる。それでも島の人たちの風に対する恐れや水に対する思いは強い。
たとえば、砂糖キビ畑の間を歩いていると、給水ポンプの蓋の上に、むぞうさに一袋の塩が置いてあったりする。夜中に魔物が出てきて悪戯するのを防ぐというのであろう。家の門や玄関口に魔除けの塩が、どさりと一袋置いてあるのはよく目にするのだが、さすがに砂糖キビ畑の間に置かれた塩の袋を目にしたときには驚いた。
水の湧く所を聖域として崇めるのは、この島に限らず、沖縄全域で行われている。井戸や泉を沖縄では「カー」もしくは「ハー」というのだが、そこにはたいてい線香や小銭が置かれてあって、だれかが拝んだ跡が残っている。生活用水が水道に変わっても、「カー」に対する特別な思いは根強い。
この島にも「ムイヌカー」というすばらしい泉がある。カルスト地形というのだろうか、直径が二十メートルほどの円形に陥没した琉球石灰岩のくぼみは、内部がちょっとした広場になっている。ガジマルの枝が頭上を覆い、苔むした岩に光斑が踊る。住宅街の一角にあるとは思えない静けさの中を、白い蝶が飛んでいる。蝶は人の魂の化身なのだという言い伝えが、この場所にいると納得できる。
広場から摩滅した石段を降りていくと、せり出した岩盤の下に泉が湧いている。岩の奥には線香や紙銭が置かれている。澄んだ水に水滴が落ちる。振り返ると、岩の間からガジマルの枝に覆われた空と光が見える。五十二年前、沖縄の各地で、「ガマ」と呼ばれたこのような自然の洞窟に身をひそめた人々は、どのような思いで入り口から差す光を見ていたのだろうか、という思いが、ふとよぎる。
人の心の底には、閉ざされたままの、地下の「ガマ」のような記憶の闇がある。地表に降った雨が、何十年も経って地下の「ガマ」に滴るように、ある日、ふと、滴り落ちる記憶の水滴。
五十年経って、やっと滴ることのできた水滴もあるはずなのだ。私たちは常に固有の記憶のなかで生きている。表面的には風化しているように見えても、一滴の水滴でよみがえる記憶の力に、おののく人もいる。
そして、心の底にふいに落ちた水滴に立ち尽くす人もいるのだ。