14日は午後4時頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。
連日の雨で水溜りができ、赤土でぬかるむなか、今日もK9・N2護岸から運ばれてきた土砂が、②区域に投入されていた。
1972年5月15日の施政権返還から、明日で50年となる。午後からは政府と沖縄県の共同で「記念式典」が催される。辺野古の工事現場を眺めていると、そんな「式典」などまやかしの茶番にすぎないことがよく分かる。
「辺野古が唯一」をくり返すだけで、沖縄の声など最初から聞く気もない岸田首相にとって、沖縄は「日米同盟」を維持し、本土防衛の盾として利用できる便利な「領土」でしかあるまい。沖縄人の犠牲など二の次なのだ。
今日の沖縄の新型コロナウイルス新規感染者は2464人で、5日続けて2000人を超えている。それを恐れて天皇夫妻はオンラインで「式典」に参加するようだが、沖縄を米国に売り渡した昭和天皇の「メッセージ」には触れることなく、沖縄に「心を寄せる」という皇室のきれいごとをいつまで繰り返すのか。
鉄血勤皇隊に参加した私の父親は、日本が負けたら天皇は自決する、と思っていたという。天皇のために命を捧げるよう教育され、実際に多くの仲間が戦死していった。にもかかわらず、自決することなく生き延びた昭和天皇がテレビに出ると、怒りの言葉を何度も口にしていた。
しばらく前にNHKの「こころの時代」という番組に出た。沖縄戦について語るなかで昭和天皇の戦争責任についてもかなり話し、沖縄の基地問題を語るなかでは「天皇メッセージ」や象徴天皇制と憲法9条、沖縄への米軍基地集中の関係などをかなり話した。
しかし、編集の段階で天皇に関する発言はすべてカットされていた。そうなるだろうと予想はしていたが、沖縄戦や敗戦後の米国の沖縄統治に対する昭和天皇の責任を問うことをタブーとしているのが、今のメディアの状況なのだ。「沖縄に心を寄せる」皇室の報道は、そのタブーの上に成り立っている。
午後3時45分頃と4時27分頃に、瀬嵩の海岸や森の上から大浦湾の様子を見た。
K9護岸には1隻、N2護岸には2隻のランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。
朝、ガット船2隻(清明、美鍛丸)が大浦湾に入り、第八丸喜丸が出ている。前日からの残りは國喜18、寿鷲丸、進朋。
午後はガット船2隻(栄雄丸、聖嘉)が入り、5隻(國喜18、寿鷲丸、進朋、清明、美鍛丸)が出ていった。
午後入った栄雄丸と聖嘉が、ランプウェイ台船に土砂の積み替えを行っていた。
デッキバージらかもランプウェイ台船に土砂の積み替えを行っていた。
16日(月)も朝から埋め立て工事ができるようにランプウェイ台船に土砂を積んで準備がなされている。
「日本復帰」50年の沖縄の風景の一つとして、この状況を直視したい。