雑誌『世界』5月号に「斥候」という小説を書いた。
10年以上前のことだが、父が県立北部病院に入院している時、同じ病室にいた女性の付き添いの老人と話をする機会があった。
その時に老人が、戦時中に同じ村の住民のことを日本軍に密告したということで、戦後ずっと村八分になった人がいる、という話をしていた。
その話をもとに私の父や叔母から聞いた話などを加えながら書いた小説である。
言うまでもなく内容は虚構であり、特定のだれかについて書いたものではない。
沖縄で出されている雑誌『越境広場』に「地を這う声のために」という時評を連載させてもらっている。今回で4回目になるが、1月に行われた名護市長選挙について書いた。
『世界』『越境広場』両誌ともに、「日本復帰」50年についての特集を組んでいる。ご一読を。
実家の庭ではパッションフルーツが花を数多く咲かせている。沖縄では露地でも簡単に栽培でき、パパヤーと同じくらい実が収穫しやすい。
挿し木で増やすのも容易で、実に便利な熱帯果樹だ。