18日午前9時半から、糸満市報得橋(むくえばし)公園から阿波根バス停まで「海づくり大会への天皇出席反対!」デモが行われたので参加した。前日の国際通りのデモに続く第2弾で、「海づくり大会」が行われている糸満市の会場近くでのデモ行進である。
デモの出発前に集会を開いた公園のまわりやデモのそばには、私服刑事だけで40〜50名ほどが張り付いていた。天皇のやることには異論、反論は許さぬ。逆らう者は権力を持って弾圧する、という構えで、それにのっかって在特会らしき右翼もちゃちなケチツケを行っていた。
そういう弾圧態勢をはね返して、天皇が参加する会場近くでデモ行進を行ったのは意義のあることだ。明治の「琉球処分」以降の沖縄と天皇(制)の関わりを見るなら、沖縄人が天皇来沖を黙って容認することはできない。
「豊かな海づくり」という看板の裏で、泡瀬干潟の埋め立ては進み、辺野古新基地建設に向けた埋め立ても、年明けには知事への申請が出されようとしている。加えて「尖閣諸島問題」を演出することで日米両政府は東シナ海を争いの海にし、対中国の軍事強化を進めようとしている。それは予算削減に苦しむ米国の軍需産業の利益保持にも役立つだろう。
沖縄人を南西領土防衛の担い手にすること。「尖閣諸島問題」に火を付けて沖縄人に「領土・領海意識」を植えつけ、先島の住民を「平成の防人」にすること。 今回の天皇来沖は、そのような国家目的を実現するために利用されるだろう。それに唯々諾々と乗せられるなら、沖縄人・先島住民は再び自滅への道を歩まされることになる。
歴史に学ぶことを忘れ、事大主義を丸出しにして天皇夫妻に日の丸を振り、人の好い沖縄人ぶりを示すことほど愚かなことはない。前回2004年1月に天皇が来沖したあと沖縄で何が起こったか。少し長いが下記の文章を読んでほしい。そして、これから先、何が起こるかを注意してほしい。ことの起こりは天皇来沖にあったのだ。沖縄にとって天皇来沖は、大きな変化を生み出す節目として、今も重い政治的意味を負わされているのである。
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/49a7795bfe5628857f5f5fdcd30ddf47
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/9959eca0b2f5dde7a4763ec19878674c
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/98fb49d8895ee217b6bb282574693f37