23日(水)は沖縄戦慰霊の日だった。午前中、スーパーで酒やお茶、お菓子、板御香などを買って、本部町の八重岳に行った。山頂近くに「三中学徒之碑」と国頭支隊本部壕・野戦病院跡があり、酒やお菓子などを備えて御香を上げ、手を合わせた。
朝方の雨が止んで、しだいに青空が広がり始めた。セミと鳥の声が広がる樹陰をコノハチョウが何匹も舞っていた。チョウが舞う姿は人の魂が舞うのと同じ、という祖母の言葉を思い出した。
本部半島の森にも、まだ収骨されない戦死者の遺骨が埋もれている。木々の根元や岩陰で、骨たちは長い時間をかけて朽ちていくのだろう。いや、辺野古新基地建設のために辺野古側海域された土砂のなかにも、朽ちずに残っていた戦死者の骨が混じっていないと、沖縄防衛局は断言できるのだろうか。
午後は名護市内に戻り、「少年護郷隊の碑」と「和魂の碑(にぎたまのいしぶみ)」を訪ねた。
学徒隊や護郷隊として戦場に駆り出された少年・少女たちも、もう90歳を越している。沖縄戦の歴史を継承するために、私たちの出代が果たすべき役割は大きい。