21日(月)は午前7時4分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9・K8護岸ともにランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが始まっていた。
両護岸ともに前日の続きなのか、3隻のランプウェイ台船に載っている土砂の量はどれも少なかった。
この日は天候不良で、カヌーで海に出ることはできず、抗議船・平和丸を出して海上から作業を監視した。
午前8時24分頃、ガット船1隻(marumasa1号)が大浦湾を出て、入れ替わりに1隻(第百三十六伊勢丸)が入った。
大浦湾には清明が残っているだけで、午前中、ガット船の数が少なかった。先週は本部港塩川地区の波が高く、水~土曜日にかけて土砂の積み込みができなかったことが影響しているのだろう。
ここのところ工事関連の船舶の事故が相次いでいる。そのことも影響しているかもしれない。
K8護岸の近くで監視すると、ランプウェイ台船・屋部7号が接岸し、護岸上には土砂を運ぶダンプカーが並んでいた。
土砂の量は残りわずかで、午前8時43分頃には、離岸の準備のためタグボートが近くに寄って来ていた。
午前9時に辺野古漁港に戻ったが、帰る途中から雨脚が強くなった。
沖縄は明後日、敗戦から76年目の慰霊の日を迎える。今年も新型コロナウイルスの影響で、慰霊行事は少人数で行われる。
沖縄戦の記録を読むと、土砂降りの雨の中を逃げ惑う住民の姿や、泥と血にまみれた兵士の記述を目にする。沖縄戦末期のこの時期、島尻地区では米軍の掃討戦によって、多くの住民、日本兵が殺されていった。
もはや勝ち目がないのは明白なのに、国体護持のために住民もろとも玉砕(全滅)することを強制した昭和天皇や軍部、政治家らの罪の重さを忘れていはいけない。
日本「本土」防衛のために沖縄を犠牲にする。その構図は76年前も今も変わっていない。今度は米軍と自衛隊が一緒になって、中国と対抗するために沖縄を利用し、犠牲にしようとしている。そのことに体を張ってでも抵抗しなければ、沖縄人はいいようにあしらわれ、何度でも殺される。
午前9時42分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見ると、雨の中、泥沼のようになった②工区に土砂が投入されていた。
午前10時頃に瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9・K8護岸ともに土砂の陸揚げが行われ、ガット船2隻(清明、第百三十六伊勢丸)がランプウェイ台船に土砂を移し替えていた。
デッキバージからランプウェイ台船への土砂の積み替え作業も行われていた。ベルトコンベヤーは1台しか使われていなかった。
追加のガット船が入らないと、土砂の残量はかなり少なくなるだろう。