19日(金)はカヌー7艇とゴムボート1隻(やいま)で、安和の琉球セメント新桟橋で行われたガット船への土砂積み込みに抗議した。
午前8時50分頃、安和の現場についてカヌーを下ろすと、新桟橋ではガット船・第八高砂丸が接岸し、土砂を積み込んでいた。大浦湾に入るガット船では最大の船だ。積み込み終了まで時間がかかるので、待機している間、使用する道具の準備をしたり、出入り口で行われている土砂搬入への抗議行動に参加した。
旧桟橋の撤去作業は先週10日(水)に終了し、11日(木)の朝にクレーン付き台船が安和の現場から離れていった。19日は潜水士が潜って汚濁防止膜のアンカーを外す作業を行っていた。
午前10時40分頃、カヌー7艇が浜を出発し、ゴムボート・やいまとともに第八高砂丸への土砂積み込みに抗議した。この日は波が穏やかで、日差しの下に長時間いると暑くて、熱中症対策をしなければいけないほどだった。
午前11時48分頃から海保による強制排除が始まった。カヌーを固定したメンバーが全員拘束され、桟橋の下から出されたのが午後12時40分頃。そのあと、自由に漕いでいたカヌー3艇が拘束され、第八高砂丸が新桟橋を離れて沖に向かったのが午後1時頃だった。
入れ替わりで、この日2隻目の第八丸喜丸が着岸し、午後1時25分頃から土砂の積み込みを開始した。
琉球セメント新桟橋は、本来、製品であるセメントの積み込みや原材料、燃料の陸揚げを目的に建設されている。ところが、大浦湾への土砂運搬を行うガット船の使用を優先しているため、セメント運搬船は先端部の短い桟橋を使用せざるを得なくなっている。
この日は太平洋セメントの千進丸という船が接岸していたが、船腹に桟橋の角でこすったと思われる傷がついていた。船の灰色の塗装がかなり剥げている。波が高くなれば損傷もひどくなるだろ。
もともとセメント積み込み用のパイプは長い桟橋側に設置されていた。それを先端部に移動し、セメント運搬船の船体を傷つけてまで短い桟橋を使用させているのだ。
辺野古新基地建設のためガット船の使用を最優先し、本来の目的であるセメントの積み込みが後回しにされている。そればかりか、船が損傷する危険まで生じている。こんなことが許されるのか。沖縄県はきちんと指導すべきだ。
孵化したばかりらしいメダカほどの稚魚が泳いでいた。春になり、海では新しい命が生まれている。
サンマの漁獲量が激減していることが記事になっているが、海の恩恵で私たちは生きていることができる。これ以上破壊を進めるのは自滅の道でしかない。あとの世代のためにも、海を守るのは私たちの使命だ。
新型コロナウイルスの感染が広がってから、安和の行動は早めに切り上げるようになっている。辺野古に戻って片付けもあり、出入り口で頑張っている皆さんには申し訳ない思いがするが、午後2時7分頃、安和を後にして辺野古に向かった。
午後2時36分頃、キャンプ・シュワブのゲート前を通ると、3回目の資材搬入に抗議して座り込んでいる皆さんが、手を振って労をねぎらってくれた。連日、朝から午後まで3回の座り込みを行うのも大変なことだ。
新型コロナウイルスの感染拡大から1年余が経つが、抗議行動に関していうと、風通しのいい屋外でマスクをきちんとつけ、至近距離での会話を避けていれば、感染リスクは低いと思う。
数百人単位の集会は難しいだろうが、数十人単位の抗議行動は、各自が感染症対策をきちんとすれば可能である。注意すべきは往復する車内での会話、複数での食事、トイレ使用後の手洗い、こまめな消毒などだ。
時おり、ゲート前で発言するときにマスクを下ろす人がいるが、これは絶対に止めるべきだ。司会もすぐに注意してほしい。マスク越しでも発言は十分に聞き取れる。
座り込みが嫌な人は、歩道で人と距離を取り、プラカードを掲げて抗議することもできる。その場合は、プラカードや手の消毒が欠かせない。
工事は日々行われているが、今のところ屋外の工事現場から感染者は出ていない。全国で見れば、毎日何万件の工事が行われているだろうか。感染症対策をきちんととることを前提に、屋外と屋内のリスクの違い、飛沫対策を考える必要がある。
沖縄の場合、酒を飲む機会が多いのが一番の問題だろう。屋外での抗議行動より、久しぶりに会ったから、交流を深めるため、と一緒に酒を飲むのが危ないに決まっている。
どこで、どのような行動をとれば感染リスクが高くなるのか。それを押さえて抗議行動に参加したい。
テント2周辺で作業を行ったあと、午後5時頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸ではまだ土砂の陸揚げが行われていて、ダンプカーで運ばれてきた土砂がK3護岸側に投入されていた。
この角度からは確認できないが、海の部分はもう残っていないのではないか。
このところ所用が続き、豊原の高台から埋め立て現場を確認するのは10日以来となった。かなり間が開いてしまったが、久しぶりに見ると、カヌーメンバーがシュワブ岩と呼んでいた岩が破壊されていた。辺野古ではトゥンディと呼ばれてきた岩で、護岸に囲まれるまでは数えきれないくらいカヌーでそのそばを通った。カヌーメンバーの多くにとって思い出深い岩だろう。
アジサシの繁殖地でもあり、地元に人にとっては近くで貝やタコ、海藻などをとってきた馴染みの岩だったはずだ。まわりを土で埋められた後も、唯一かつての海の風景を思い出させる岩だった。ショベルカーの周辺には、シュワブ岩の残骸が転がっている。無残だ。
②-1工区の海をほぼ埋め立てたことで、岩の破壊に着手したのかもしれない。この地点から現場を見てきて、埋め立ての進行を実感するとともに、痛ましさと怒りが込み上げてくる。これから先のことを論じるのも大事だが、いま進められている工事を止めるためにもっと力を注がねばならない。
上の写真は3月10日に撮影したもので、これがシュワブ岩(トゥンディ)を目にした最後となった。岩に名前が付けられるのは、人々の暮らしと関りがあったからだ。軍事基地建設のため、自然破壊と同時に、地域の人々の生活と歴史の破壊も進んでいく。
午後5時26分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸にランプウェイ台船の姿はなく、K9護岸での土砂陸揚げも終わっていた。
ガット船は4隻(松龍丸、第二十八旭丸、栄雄丸、第八そうほう丸)が停泊していた。