3連休明けの12日(火)は朝から雨が降り、海上行動は中止となったので、キャンプ・シュワブゲート前に行き、1回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。時間が早い1回目はどうしても参加者が少なくなるが、小雨模様で冷え込むなか10数名の市民が雨合羽を着けて抗議を続けた。
新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、過度な接触を避けるため、以前のように粘ることはできない。困難な状況下での行動が続くが、柔軟かつ粘り強くやっていくしかない。
いつものように最初はミキサー車の車列が続いた。そのあと先週に続き、アスファルトを積んだダンプカーが10台ほど入っていった。砂利や砂のほか芝生も入り、埋め立て以外の工事車両もかなり入っている。ただ、それらの工事も新基地建設に関連した施設の工事であり、海兵隊基地の強化に変わりはない。
ゲート前や辺野古の集落には朝から、キャンプ・シュワブの山間部で行われている射撃訓練の銃撃音が鳴り響いていた。重機関銃なのだろう、ドン、ドン、ドンという鈍く重い連射音が断続的に反響する。こういう環境下で保育園、小中学校に通う子供たち、国立高専の学生たちは授業を受けている。異常な状況がすでに起こっている地域に、新たに基地負担を押し付けようとしているのだ。何が「負担軽減」か。
午前8時24分頃と10時28分頃に豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げが行われていた。この時間帯は②工区の中央部に土砂が投入されていた。
K4護岸では嵩上げ工事が進められ、2か所で生コンの打設が行われていた。K3護岸と接する角の付近までL字型擁壁の建設が進んでいる。
壁が建設された外側には、壁の高さまで消波ブロックの設置が行われている。ゲートから入るミキサー車は、K4護岸と消波ブロックの制作場所である辺野古崎の作業ヤードに向かっている。
午前11時11分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。K9護岸、K8護岸ともに1隻のランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。
ガット船は清明と鶴見丸の2隻が停泊し、それぞれランプウェイ台船に土砂を移し替えていた。
デッキバージには両舷側に2隻のランプウェイ台船が横付けし、ベルトコンベアを使って土砂を移し替えていた。
護岸を使用した土砂陸揚げやデッキバージの導入は、沖縄県の要請、指導を無視した国の横暴なふるまいである。日々行われている工事は沖縄県民の意思を踏みにじり、地方自治を破壊して強行されている。新型コロナウイルスの問題に市民の関心が集中しているのをいいことに、国はやりたい放題の強権を沖縄にふるっている。
午前10時48分頃、辺野古ダムのボーリング調査の様子を見た。先週とは別の場所に単管やぐらが移されていた。作業員の姿は見えなかったが、新たな場所での調査が始まるようだ。
今年は毒ガス撤去から50年に当たるということで、琉球新報が当時の状況を伝える記事を連載している。私が小学生の時だが、父親の運転する車に乗り家族で那覇に行った帰り、毒ガスの移送に出くわした。車を止められ待機させられている前を、毒ガスを積んだトレーラー車が通り過ぎて行った。毒ガスを詰めた容器も見える状態で、テレビで見た搾乳した牛乳を入れる容器に似ている、と思ったことを記憶している。
封鎖された道路にいる住民にガスマスクがあるはずもない。事故あれば大惨事となっただろうが、米軍の安全管理はその程度だった。今はどれだけましになったか。座間味島で米軍機が低空飛行していることが問題となっているが、同じ訓練は辺野古沖でも目にする。基地から有害物質が流出しても日本政府は規制もできない。軍事植民地の現実は変わらないままだ。
うちなんちゅーが自らこの現実を変えない限り、この状態はさらに続く。