Quantcast
Channel: 海鳴りの島から
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2983

本部港塩川地区で埋め立て用土砂の積み込みに抗議

$
0
0

 11日(水)は午前中、本部港塩川地区に行き、ランプウェイ台船に辺野古埋め立て用土砂を積み込む作業に抗議した。途中、午前7時24分頃に安和の琉球セメント新桟橋の様子を見た。ガット船・清明が接岸し、土砂の積み込みが始まっていた。

 午前7時31分頃、塩川沖の様子を見るとガット船が11隻停泊していた。そのうち、第二十八旭丸と進朋が、前日に塩川地区でランプウェイ台船に積まれた土砂の積み替え作業を始めようとしていた。

 現在、本部港塩川地区では4隻のランプウェイ台船が稼働していて、午前の早い時間帯では、前日積んだ土砂の積み替えを沖で行うのと並行し、港では2隻のランプウェイ台船が土砂の積み込みを行っている。

 午前九時半頃をめどに1隻目の積み替えと積み込みが終わって交替し、10時半頃をめどに2隻目が積み込みを終えて沖に出る。そのあと、土砂の移し替えを終えたランプウェイ台船が接岸し、午後4時半頃まで計4隻分の積み込みが行われている。時間はあくまでめどで、その日の抗議行動や作業状況によってずれが生じる。

 午前7時40分頃、本部港塩川地区に着くと、安和の琉球セメント旧桟橋周辺から浚渫された土砂を積んだランプウェイ台船・屋部2号が接岸するところだった。土砂は港内の仮置き場に運ばれ、一時的に保管される。

 いつものようにランプウェイ台船2隻、東栄三号と呉屋7号が並んで接岸し、土砂の積み込みを行っていた。

 向かって右側の東栄三号に先に土砂が多く運びこまれ、午前9時半頃をめどに、沖のランプウェイ台船の積み替えが終わると、離岸して入れ替えが行われる。

 11日は、沖で土砂の積み替えを終えたランプウェイ台船・呉屋5号が午前9時35分頃から移動を始め、それに合わせて東栄三号が午前9時43分頃に離岸した。呉屋5号は午前9時59分頃に着岸したが、隣の呉屋7号が土砂の積み込みを終えるまで待機していた。

 午前10時22分頃、呉屋7号が積み込みを終え、離岸を開始した。そのあと、午前10時28分頃から呉屋5号に土砂の積み込みが始まった。

 沖に向かった東栄三号はガット船・進朋に、呉屋7号は同じく第百三十六伊勢丸に土砂を移し替えていた。午前11時45分頃、お昼休みに入るまで、港では呉屋5号への土砂積み込みが、沖ではランプウェイ台船3隻の土砂移し替え作業が続いた。

 本部港塩川地区ではダンプカーが直接台船に乗り込み、土砂を下ろすので、少ない人数ではあっても効果的に抗議することができる。台船に乗り込むダンプカーが途切れ、空白時間が生じればその分、積み込む土砂の量は減る。

 安和の琉球セメント新桟橋のように仮置き場がないので、車列への抗議が積み込みに直接影響するのだ。日本政府・菅政権は再来年の名護市長選挙や沖縄県知事選挙を視野に入れて、辺野古側の埋め立てを急いでいる。それを止める、遅らせる行動が日々問われている。

 住民運動は政党やどこかの組織のためにあるのではない。地域住民が自分たちの生活と将来を守るためにある。選挙や組織拡大の手段ではない。だからこそ、本気で工事を止めよう、遅らせようと考えて、貴重な時間を割き、現場に足を運ぶ。

 はじめてデモに参加してから42年が経つが、そうやって地を這うように地道に取り組んでいる人たちの姿に励まされてきた。敗戦後の沖縄の反戦・反基地運動や反CTS運動をはじめ、連綿と続いてきた運動の歴史は、名利を求めることもなく、名を残すこともなく、底辺で支えてきた人たちによってつくられてきたはずだ。

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2983

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>