21日(水)は海上行動は中止となり、船やカヌー、台車などのメンテナンスとテント2周辺の清掃を行った。海やそのそばで使う道具だけに、錆が進行しやすい。エンジンや船体の点検、修理、錆を落として錆止めを塗るなど、細かい所まで確認して作業を行った。
作業終了後、午前11時52分頃にキャンプ・シュワブゲート前に行き、2回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。
1995年9月4日に発生した3人の米兵によるレイプ事件のあと、10月21日に宜野湾市海浜公園で8万人余を集めて県民大会が開かれた。あれから25年が経った。沖縄の「負担軽減」といいながら、日本政府は事件が起こった沖縄島北部東海岸に新たな基地を建設中だ。
事件の被害者とその家族は、今の沖縄の状況をどのように見ているだろうか。この25年間、そのことを考えながら自分なりに基地問題に取り組んできた。しかし、新基地建設を止めきれないまま、ここまで工事が進んでしまった。
ゲート前に座り込んでいる沖縄人の中には、25年前の県民大会に参加した人も多かっただろう。今日は海上行動がなかったので、何もしないではいられない気持ちで、ゲート前の抗議行動に参加した。
ゲートに入る工事車両は、生コンのミキサー車が一番多かったが、生コンプラントの砂やバラス、コンクリート製のL字型壁、再生砕石などが搬入されていた。工事車両が出入りする間には、ゲート前でデモ行進し、工事を止めろ!とシュプレヒコールを上げた。
午後1時4分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸にはランプウェイ台船が接岸していたが、ショベルカーの動きはなく、土砂を運ぶトラックは1台も見られなかった。ブルドーザーなどの重機類は一か所にまとめられていた。
護岸の嵩上げ工事は行われているようだったが、この日は風や波が強かったせいか土砂の陸揚げ、投入は行われていないようだった。
午後1時39分頃、瀬嵩の海岸から大浦湾の様子を見た。K9護岸にはランプウェイ台船が接岸していたが、ここもショベルカーは土砂から降りていて、土砂の前の方にはブルーシートがかけられていた。護岸にも土砂を運ぶ車両の姿はなかった。
ガット船は前日と同じく美鍛丸、第八高砂丸、聖嶺、栄雄丸が停泊していたが、ランプウェイ台船への土砂の積み替えは行われていなかった。タグボートが動いていたが、ウミンチュの警戒船や警備会社の船は出ていなかった。