4日(金)は午前11時半頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。工事用ゲートは開いていて工事車両が出入りしていたが、埋め立て工区はガット船とランプウェイ台船が台風避難しているため、工事は行われていなかった。
K2・K4護岸の嵩上げ工事も行われていなかった。
12時13分頃、瀬嵩側に回って海岸や森の上から大浦湾の様子を見た。辺野古新基地建設関連の船舶は台風避難で大浦湾を離れるか陸揚げされるかしている。海保の浮桟橋も陸上に片付けられていた。
陸上に見えるのもテイケイの警備員くらいだった。
瀬嵩側の汚濁防止膜が張られていた部分のフロートが一部はずされ、二重にまとめられていた。長島から航路にかけてと、この部分の2か所が、台風対策で大きく開いた状態となっている。
埋め立て関連の工事はなかったが、辺野古弾薬庫の建て替え工事は行われていた。生コンのミキサー車が弾薬庫方向に向かっているのが見えた。
1995年9月4日に米兵3名が起こした卑劣な犯罪から25年が経った。辺野古新基地建設の原点にあるのがこの事件であり、本来なら沖縄にある米軍基地をすべて撤去させるべきだった。にもかかわらず、新たな基地を造る形で現実が進行していることに怒りと情けなさを覚える。
事件が起こった沖縄島北部の東海岸に新たな基地を造る。被害者やその家族の心情をまったく考えていない。そのことが一番許せない。日本政府や同調した沖縄の自民党・公明党、建設業者は、事件を利用して基地利権を生み出すことに力を注いだ。辺野古新基地建設で金を儲けている連中は、25年前の事件を食い物にしているのだ。
SACO合意とは、事件に対する沖縄県民の怒りをはぐらかし、沖縄の中で基地をたらいまわしする欺瞞でしかなかった。辺野古新基地や高江のヘリパッド、浦添軍港の建設は、すべて米兵の凶悪犯罪に苦しむ被害者の犠牲の上に成り立っている。こんな醜い基地をどうして容認できるか。
目の前で進む工事を見ながら、何度も25年前の事件を思い出し、止めきれないことへの情けなさ、無念さを噛みしめてきた。25年前の10・21県民大会に参加した人は、あのとき何を誓ったのか。それを思い出せば、辺野古の現状を見て見ぬふりできないはずだ。