24日(水)は天候が不安定で、午前10時頃から雨にになるとの予報だったので、カヌーによる抗議行動は止めて、抗議船・平和丸に乗って海上からの監視行動を行った。
午前8時45分頃、大浦湾に出るとガット船5隻(第百三十六伊勢丸、marumasa2号、第八丸喜、美鍛丸、marumasa3号)が列をなして航路に向かってくるところだった。
昨日23日は「沖縄戦慰霊の日」で、沖縄は公休日だった。沖縄防衛局も県民からの反発を恐れて工事を止めていたが、一夜が明ければこのような状況だ。沖縄戦の犠牲など日本政府・防衛省にとっては、国土防衛のための献身でしかない。沖縄に新たな犠牲を強いることに、何のためらいもない。
沖縄のメディアは慰霊の日に向けて、沖縄戦体験者の証言を数多く取り上げていた。新聞を読み、テレビを見ながら、何度も涙がにじんだ。75年間、消えることのない苦しみと痛みが、どれだけあったことか。それを意に介さず、辺野古では工事が進められていく。
祈るだけでは、沖縄のこの現実は変わらないのだ。沖縄に生きる私たちはどうすればいいのだろうか。キャンプ・シュワブのゲート前には、沖縄戦の体験者や、戦後の米軍圧政下を生きてきたお年寄りがやってくる。その方々の志を次の世代はどう受け継いでいくのか。口だけではいけない。受け継ぐとは行動を伴うものだ。
大浦湾に入ったガット船は、空のランプウェイ台船に向かい、横付けして土砂の積み替えの準備を始めた。
K8護岸では午前8時半頃から、着岸したランプウェイ台船・屋部3号にダンプカーが乗り込み、土砂の陸揚げを開始した。しかし、K9護岸ではダンプカーが並んでいたが、台船が接岸しておらず、陸揚げは行われていなかった。
50メートルほど離れた場所に台船・駿河が停泊していたが、土砂は少量しかなく、作業員の姿もなかった。ここのところ、ガット船による土砂の補給の遅れが目立つ。午前9時33分頃から土砂の積み替えが始まったが、K9護岸の分は用意ができたのは、午前11時過ぎだった。その間、ダンプカーは長時間の待機を強いられた。
大浦湾のカヌチャリゾート沖には、ジュゴンの鳴き声を調査する船が停泊している。沖縄防衛局が出しているものだが、この船が停泊していること自体が、ジュゴンが近づくのを邪魔するものだ。
埋め立て工事が再開され、ガット船をはじめ大小さまざまな船が行き交う状態で、ジュゴンが大浦湾に入るのはむしろ危険だ。ジュゴンだけではない。ウミガメやサンゴをはじめ、工事によって多くの生物の生存が脅かされている。破壊のための調査という欺瞞を止めて、工事自体をを止めるべきだ。
K4護岸の消波ブロック設置も行われていた。残りは70メートルほどだろうか。新型コロナウイルスによる中断がなければ、とっくに終わっていただろう。
午前10時18分頃、豊原の高台から辺野古側埋め立て工区の様子を見た。K8護岸から陸揚げされた土砂は、K2護岸側から投入されていた。
K4護岸では引き続き、消波ブロックの設置が行われていた。
緑のネットが張られた岩の上には、まだ草木が残っている。辺野古の海でカヌーを漕ぎ始めてから、数えきれないくらいこの岩の近くを通り、松田ぬ浜と辺野古崎を往復した。今はもう近づくこともできず、このままではいずれ破壊され、消えてしまうだろう。
アジサシが営巣できないように網をかぶせられ、もだえ苦しむ生き物のように岩は、迫りくる土砂に脅かされている。
今日、大浦湾に入ったガット船の中で、marumasa2号は一番小さく、喫水線も余裕があり、土砂の積載量が少なかった。ランプウェイ台船にうつすと4分の1もない。どうしてこんな量で移動したのだろうか。実質、4隻が入ったのと同じだ。手抜き仕事なのか。
午前11時6分頃、土砂の積み替え作業を行っていた第百三十六伊勢丸がクレーンを下ろし、積み替え作業が終了した。そのあと、土砂を載せたランプウェイ台船をタグボートが曳航し、K9護岸に向かった。
ところが、K9護岸の近くにいた駿河の移動が遅かったり、移動途中で止まったり、着岸に時間がかかった。結局、新たな台船がK9護岸に着岸し、ショベルカーが乗り込んで、ダンプカーに土砂を載せ始めたのは、午前11時51分だった。
K8護岸では、午前10時半頃には1隻目の台船・屋部3号の陸揚げが終わったが、2隻目は午前12時前になっても着岸していなかった。K9護岸では午前中、陸揚げができず、K8護岸でも午前中の作業は2時間ほどだ。
作業を細かく見ていると、効率の悪さが目立つ。12日に再開されて以降、気象条件にも影響されて、思うように埋め立て工事がはかどっていない。
軟弱地盤の問題があるからいずれ行き詰まる…、と高をくくって何もしない、では話にならない。いま、現に進んでいる工事をまずは止めなければならない。辺野古や安和、塩川で日々苦闘している市民の輪に加わってほしい。