10連休が終わり、辺野古では新基地建設工事が再開された。
7日(火)は朝、カヌー9艇で松田ぬ浜を出発した。抗議船2隻に分乗してK9護岸に向かい、土砂を積んで接岸しようとするランプウェイ台船に抗議した。
平成から令和に替わったとマスコミは大騒ぎしていたが、日本政府の沖縄に対する姿勢は何も変わらない。平成は戦争がなく平和な時代だった、という者がいるが、沖縄で訓練し、出撃していった米軍によって、イラクやアフガニスタンでどれだけの市民が虐殺されたか。米軍に殺される側の視点で、自分たちの姿を見つめ直さなければならない。
朝、土砂を積んだガット船3隻が大浦湾に入った。第八藤進、marumasa2号、航安丸の3隻で、早速、空のランプウェイ台船に土砂を載せ替えていた。
K8護岸では、内側に根固め用袋材を設置する作業が行われていた。
②-1工区に置かれた大型クレーンは稼働せず、消波ブロックの設置はなかった。
K4護岸の向こう側では、②-1工区に土砂を投入するダンプカーの動きが見える。K9護岸で陸揚げされた土砂は②工区にも運ばれ、埋め立て工事が進められた。
風に乗って、ゲート前で抗議するマイクの声が松田ぬ浜まで聞こえてきた。県民投票や基地引き取り論、いろいろな運動が提起され、行動されているようだが、実際に進行している新基地建設工事を止めるための努力はどれだけなされているだろうか。
辺野古では今日も機動隊や海保の弾圧にさらされながら、多くの時間と体力、精神力を費やして、工事を止めようと抗議行動が行われている。遠く離れたヤマトゥの地で、「基地引き取り」を口にして何かをやった気になれる人たちが、どれだけ幸せでかつ傲慢であることか。
松田ぬ浜は米軍が設置した金網で分断されている。キャンプ・シュワブ内の浜から出た米軍のゴムボートが、浜の沖で潜水訓練を行っていた。空ではCH53E大型輸送ヘリが爆音を轟かせていた。
キャンプ・シュワブの兵舎に住んでいた米兵による殺人事件はどうなったのか。県内のマスコミも報じなくなった。子どものいる部屋で母親を殺害するという、こんな残虐な事件は米軍犯罪の中でも過去にあったのか。天皇翼賛報道の陰で忘れていくつもりか。