29日(金)は朝、カヌー5艇でマツダぬ浜を出発した。今にも雨が降り出しそうな曇り空で、天候に注意しながらできる限りのことをやろうと、長崎(辺野古岬)を目指してカヌーを漕いだ。
K8護岸では捨て石の投下が行われていたので、カヌー3艇がオイルフェンスを越えて抗議した。数は少なかったが力量のあるメンバーがいて、午前中に越えた2回とも護岸に達して、20分ほど工事が止まった。ゴムボートから飛び込む海保を何度もかわし、さすがに海保も苦笑いを浮かべていた。
近くの②-1工区では大型クレーンを使って消波ブロックの設置が行われていたが、2~3個を置いて作業が止まっていた。汚濁防止膜を張り直すのかと思ったが、理由はよく分からなかった。
MV22オスプレイが3機編隊で訓練を行っていた。辺野古の集落では夜間もオスプレイの爆音が響いている。新基地ができれば訓練の状態は今の比ではない。高江のヘリパッドを含む北部訓練場や伊江島補助飛行場、キャンプ・ハンセンを結んで、北部全体がオスプレイやヘリなど海兵隊の爆音にさらされ、住民は墜落の不安に怯えながら暮らすことを強いられる。
日本政府が、普天間基地は「世界一危険」と強調するのは、辺野古に「移設」するための方便に過ぎない。「世界一危険」と言いながら、米軍の好き放題に訓練させ、沖縄県民の安全を守る努力はしない。沖縄の中で米軍基地の危険をたらい回しにし、自分たちは危険から免れたいだけなのだ。
雨が迫り、波も荒れ始めたので、カヌー3艇がオイルフェンスを越えたあと、この日の海上行動を終えた。
カヌーや船を片付けて昼食をとっていると、雨脚が強くなった。雨がやんでからキャンプ・シュワブのゲート前に行き、2回目の資材搬入に抗議する座り込みに参加した。K8護岸の建設で使用される砕石や、K4護岸に設置される消波ブロックの生コンはゲートから入ってくる。ここで資材の搬入を止めれば工事は止まる。
言うは易く行うは難し、なのはよく分かっているが、難いことを実現できなければ、工事は進んでいく。K8護岸が250メートルまで伸びれば、辺野古側の埋め立て工区に使用する土砂の陸揚げ用桟橋として利用される。潮の流れを遮断することを含めて、K8護岸が持つ意味は大きい。
夕方、6時半からは名護市中央公民館中ホールで「必勝!ヤラともひろ やんばる総決起集会」が開かれたので参加した。来る衆議院選挙3区の補欠選挙に立候補するヤラさんを支えるための集会で、主催者発表で400人が集まった。
辺野古新基地建設が進められている3区での選挙結果は、今後の工事の進行に影響を与えるのは間違いない。ヤラさんの連れ合いの発言で笑いが起こり雰囲気が和らいだ。