11日に行われた玉城デニー氏と佐喜真淳氏の討論会(主催・県政記者クラブ)をテレビで見た。2人のうちどちらが沖縄の有権者の気持ちをつかんだか、という視点から見たとき、私の印象では佐喜真氏の方が優位に立っていると見えた。
佐喜真氏は、北部の病院統合問題や浦添軍港の問題を取り上げて玉城氏を追及していた。翁長前県政とオール沖縄陣営の弱点、矛盾を突くものであり、佐喜真氏の方がしっかりと準備をしていた、という印象だ。
対して玉城氏は、辺野古新基地問題への見解を回避する佐喜真氏を追及しきれていない。普天間基地返還による宜野湾市民の安全確保を強調する佐喜真氏に対し、知事は全県的立場に立つべきであり、名護市民の安全はどうするのか、と玉城氏に切り返してほしかった。
この日は9・11であり、基地が沖縄の観光、経済に与えた打撃、辺野古新基地の高さ制限の問題と関連して名護の子どもたちの安全はどうなるのかなど、玉城氏にはもっと具体的にイメージできる批判が欲しかった。
玉城氏の発言で私が一番ダメだと思ったのは、三つのDとして、ダイバーシティ、デモクラシー、ディプロマシーをあげた点だ。デニーのDと引っ掛けたつもりなのだろう。どこのインテリが考え出したのか知らないが、およそ庶民感覚とはかけ離れている。
沖縄の有権者の圧倒的多数は、ごく普通のニーニー、ネーネー、おじさん、おばさん、オジー、オバーたちだ。そういう人たちに、ダイバーシティだのディプロマシーだのという言葉が、どう受け止められると考えているのか。くぬちょーぬーあびとーが。わったーがやむじかさぬ、分からん(この人は何を叫んでるのか。私たちには難しくて、分からない)と反発されかねない。
故翁長雄志知事が演説の中でなぜウチナーグチを使っていたか。それがウチナンチューの庶民の心を代弁し、とらえる力を持っていることを知っていたからだ。玉城氏はウチナーグチがうまいのに、どうして自分の持ち味を出さないのだろうか。
政策の立案には学者のアドバイスや政党との調整も必要だろう。だが、討論会や演説では自らの政策を庶民に理解できる言葉で、分かりやすく伝えなければ、多くの有権者の支持は得られない。難しい横文字を使って、この人が言ってるのは私たちには難しくて分からない、と思われたら敬遠されてしまう。
玉城氏には基地問題と同時に、今この沖縄で暮らしている庶民が、何に困っているのか、何をしてほしいのか、それをていねいにつかんで、具体的な対応策を示してほしい。高江のヘリパッド問題や先島の自衛隊配備に関しても、地元で苦しんでいる人の期待に応えてもらいたい。
佐喜真氏は宜野湾市長として、普天間基地の被害に苦しむ市民の声を強調していた。それならなぜ、昨年12月29日に宜野湾市役所の前で開かれた「米軍基地被害から子どもを守り、安心・安全な教育環境を求める市民集会」に参加しなかったのか。米軍ヘリの部品が落下し、子どもたちの命が脅かされていることに、親たちが涙ながらに飛行停止を訴えていた。そういう市民とともにどれだけ行動したのだろうか。
宜野湾市の子どもたちの安全が大切なように、名護市の子どもたちの安全も大切だ。佐喜真氏は県知事になったら、宜野湾市民と名護市民を分断し、差別して、普天間基地返還のために名護市民を犠牲にするつもりか。辺野古新基地の被害が及ぶのは名護市だけではない。宜野座村、東村、伊江島など沖縄島北部地域全域が危険にさらされる。北部を犠牲にしても中南部が発展すればいい、そう考えているのか。
辺野古新基地ができたからといって、無条件で普天間基地が返還されるのではない。稲田朋美元防衛大臣の発言によれば、普天間基地の返還には緊急時の民間施設使用が条件になっているという。該当するのは那覇空港だが、佐喜真氏はそれを認めるのか。
軟弱地盤や活断層の問題により、辺野古新基地建設の工事が長期化するのは必至だ。佐喜真氏は日本政府と一緒に、工事が終わるまで普天間基地を維持するのか。日本政府から全面支援を受けて、県民の立場から物が言えるのか。
佐喜真氏は県知事選挙に立候補するなら、そういう問いに答える義務がある。