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「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展

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 27日は午後から那覇市歴史博物館で開かれている「あれから40年〜OKINAWAから沖縄へ〜」展と「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展を見に行った。
 第32軍司令部壕の説明板から「慰安婦」「住民虐殺」の記述を仲井真県当局が独断的に削除する、という問題が起こったこともあり、「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展は注目された。最終日の27日も平日だが多くの人が見学者に訪れていた。
 軍随伴の「慰安婦」という〈近代戦史に珍しい〉(秦郁彦『南京事件』)制度を日本軍が作った経過や目的、実態などが簡潔にまとめられてパネル展示されていた。特に沖縄の慰安所については、具体的な場所と証言が詳しく記されていて、自分たちが生活している地域で何が起こっていたか、歴史を見直す契機にもなる貴重な内容だった。
 戦争中、だまされて朝鮮半島から沖縄・渡嘉敷島に連れてこられ、「慰安婦」を強いられたペ・ポンギさんの遺品も展示されていた。ヤカンやお碗、セーター、靴下などの身の回り品だが、ペ・ポンギさんが戦中・戦後を沖縄でどのように生きたかを記した説明文を読めば、それらの品物から多くのことが喚起されてくる。文章や写真で知るのとは別の、かつてあったその人の存在が伝わってきて、物が持つ力を感じさせられた。
 同展では戦後の米兵による性暴力事件についても、被害者の証言を含めて展示されていた。戦争中の「慰安婦」問題は、そのまま戦後の米軍の性暴力の問題へと繋がっていく。『沖縄県史 第10巻』に「今帰仁村の戦時状況」という座談会が載っている。その中に次の発言がある。日本軍による住民虐殺に関連してのものだ。

〈糸数 軍と相談して、マブヤマの宇土部隊は弱くてすぐ降参しましたからね、わしらは最後まで山に残っておったんですが、今帰仁整理するときですね、そういった連中、戦闘中にもかかわらず、はやアメリカの軍と一緒になってからに、村をつくるとかなんとかいうもんだから、それで全部整理するといってからに、名簿を持って歩きよったんですよね。それをわたしに見せて、誰々を殺す、みんな殺すといって、手帳にねー。
 あんた方、誤解ですよ。これはね、宮里政安さんは戦前から料亭をもって、料亭の女をたくさんかかえておるので、そして一般の婦女子が米軍に強姦されて、たいへんなことになるので、それでその女を提供して慰安所をつくって、婦女子を護ろうという精神からでたものであってですね、決してスパイ活動ではない。こんなりっぱな、住民を護ろうとする考え方に対してね、あんた方もうこれ整理するのか、大変ですよといったら、事実か、そうか、スパイでないかっていってね、追及、わしにさんざんしたんですよ。絶対もう。あんまり早かったので。みんなこっちで村民の若いの徴用して、カンパンなんかに行かして仕事させる計画なんかしておったもんだから、みなスパイだといって、今帰仁整理するといって、みな犠牲者になっとるわけですよ〉(510〜511頁)。

 話の中に出てくる宮里政安さんは、戦後は今帰仁村の村長を務め、祖父が同世代で友人であった。
 沖縄島北部は4月中旬には米軍が制圧し、日本軍は大半が敗残兵となって山中に身をひそめた。米軍は制圧下に置いた村の有力者を集めて協力体制をつくろうとする。村の人たちは敵軍とはいえ武装した米軍の要求に逆らうことはできない。しかし、山中の日本軍は住民の中の密告者を使い、住民と米軍の動向をつかむと、米軍に接触、協力した者はスパイであると決めつけ、米軍がいないのを見計らって山から下り、住民虐殺を行ったのである。
 宮里さんもスパイと疑われた一人だった。その理由が糸数さんが語る、米兵相手の「慰安所」をつくったことだった。仲宗根の町には宮里さんの経営する料亭(サカナヤ)があり、そこではたらく女性たちは、最初は日本兵相手の「慰安婦」を強いられた。さらに、米軍の制圧後は米兵相手の「慰安婦」を強いられたのである。
 その理由は、〈一般の婦女子が米軍に強姦されて、たいへんなことになる〉のを防ぐためだった。「慰安婦」とされた料亭の女性たちの多くは、貧しさ故に幼くして売られた女性たちであり、差別を受けながら社会の底辺で生きてきた。そして、戦時下に〈一般の婦女子〉とは別の存在として扱われ、当たり前のように犠牲にされたのである。このようなことがあったことを忘れてはならない。

 日本軍の「慰安所」は沖縄の各地に130ヶ所以上設けられたことが、県内の女性史研究者たちの努力で明らかにされている。しかし、地域でその事実が知られているかというとそうではない。今回の展示会で自分が暮らしている近くに「慰安所」があったことを知り、驚いた人も多いのではないか。貴重なパネルが広く活用され、「沖縄戦と日本軍『慰安婦』」展が県内各地で開催されていけば、と思う。


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