4月28日は済州島の皆さんに案内していただき、済州4・3平和公園や北村ノブンスンイ4・3記念館などを訪ねた。上の写真は平和公園の様子だが、「4・3事件」に関する写真や資料が展示されている平和祈念館を見学し、慰霊祭壇で手を合わせて、公園内の各所で説明を受けた。
この日は快晴で風も穏やかだった。26日までは雨が降っていたというが、済州島を訪れている間は天気に恵まれた。「4・3事件」をどう呼ぶかが大きな課題になっているとのことだが、ここではカッコつきで「4・3事件」と表記しておく。
次に北村ノブンスンイ慰霊の聖地を訪ねた。虐殺が行われた小学校や記念館、「順伊おばさん」の碑などを見学した。虐殺された子どもたちの石塚にぬいぐるみや玩具が供えられているのが胸に迫った。
石垣が積まれた集落内を歩き、日本軍の陣地跡まで歩いた。沖縄と同じように壕を掘り巡らし、米軍を相手に持久戦を行なおうとしていたのだろうか。海を見下ろせる山腹にE字型に壕が彫られていた。
青い麦の穂が風に揺れ、海では漁船が網を設置していた。4月28日は沖縄にとって歴史的な日だ。「4・3事件」について考えながら、2年前に元海兵隊の米軍属に殺害された二十歳の女性のことを思った。
同行していた一人が体調を崩したので、山道の途中でホテルに引き返した。目の前の風景は春の穏やかなものだ。この地で起こったことを想像するのは、このあとの孤独な作業によるしかない。詩や小説をはじめ言葉(文字)が力を発揮するのはそこからだ。
私は沖縄戦から15年後に生まれた。共同体にとって大きな歴史体験を後の世代が追体験するためにはどうすればいいか。小説を書くことを通して追体験することは可能なのか。学生時代にそのことを考えながら、小説を書き始めた。
「4・3事件」を後の世代にどう繋いでいくか。その時に文学に何ができるか。その課題は沖縄戦の継承と共通するだろう。