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Channel: 海鳴りの島から
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天皇来沖と米軍・自衛隊基地の強化

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 3月28日に天皇アキヒトは与那国島を訪問した。翌29日付琉球新報朝刊は、その様子を次のように報じている。

 〈 …前略… 町内のあちこちに、自衛隊協力会による「奉迎」「ご来県ありがとうございます」と記した横断幕があった。ちょうど2年前の2016年3月28日、町に陸上自衛隊沿岸監視部隊が発足した。沿道では天皇、皇后を制服姿の自衛隊員が歓迎していた〉

 先に天皇来沖初日の3月27日が琉球処分の日だと指摘した。3月28日は与那国島に配備された陸上自衛隊沿岸監視部隊の発足2年の記念日だったという。

 28日はまた、渡嘉敷島で強制集団死が発生した日でもある。沖縄戦のことが思い起こされる時期に摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑を訪れて「慰霊の旅」を印象づけ、その上で陸自部隊の発足記念日に与那国島に行き、日本最西端の碑を訪ねて領土の境界を確認する。そして、29日には東京オリンピックの正式種目となった空手の演武を見学して帰京する。今回の天皇アキヒト来沖が、日程と内容を練りに練って行ったことがよく分かる。

 天皇としては最後の来沖となる今回、アキヒト夫妻は領土の最西端である与那国島まで足を運んだ。それが中国と対抗して先島地域への自衛隊の配備・強化を進める安倍政権の意図と連動していることは、陸自沿岸監視部隊の発足記念日に日程を合わせたことが自ずから示している。

 天皇アキヒトは2004年1月に国立劇場沖縄の開場記念公演を鑑賞するため来沖した際、宮古島と石垣島を訪問した。その後、日本政府・防衛省は「南西方面重視」、「島嶼防衛強化」を打ち出して、宮古、八重山、与那国など先島地域への自衛隊配備計画を進めていく。

 2012年4月には、当時の石原慎太郎東京都知事が、米国のヘリテージ財団で尖閣諸島の購入を打ち上げた。同年9月には日本政府が同諸島を購入して国有化する。それに反発した中国は尖閣諸島周辺の行動をより活発化させ、同諸島をめぐる領土問題が焦点化した。

 民主党政権崩壊後に誕生した安倍政権は、それを最大限に利用した。中国の脅威を煽りながら先島地域への自衛隊配備と辺野古新基地建設を推進していった。天皇アキヒトが宮古島、石垣島を訪問した2004年から与那国島訪問が行われた今年まで、この14年間に日本政府・防衛省は「南西方面重視」、「島嶼防衛強化」「中国の脅威」を前面に出して、沖縄の米軍・自衛隊基地の強化を進めたのだ。

 天皇アキヒトが摩文仁の国立戦没者墓苑やひめゆり平和祈念資料館、対馬丸記念館などを訪れ、「慰霊の旅」「沖縄への思い」を印象付ける一方で、武力による威嚇で琉球国を滅ぼし、日本に併合していった歴史は正当化され、先島地域への自衛隊配備と辺野古新基地建設が強行された。沖縄人から抵抗の牙を抜き取り、日本人としての自覚を植えつけ、国土防衛の担い手へと絡めとっていくのが、アキヒト夫妻の役割だった。

 天皇アキヒトが個人としてどのような意思を持っているかはともかく、その来沖は「慰霊」や「沖縄への思い」というきれい事だけですまされるものではない。そこには天皇を利用して沖縄の軍事要塞化を進める者たちの政治的意図が透けて見える。時の権力者と持ちつ持たれつの関係で生き延びてきたのが天皇家であり、アキヒトも自らの役割をしっかりと果してきたのだ。

 


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