24日は午前中、船に乗って辺野古側の護岸工事に抗議した。午前9時前に本部町の塩川港から石を積んできた搬送船が大浦湾に入った。同船がK9護岸の近くに行くまでは、海保のゴムボート(GB)が警備にあたっているのでK4護岸とK1護岸、仮設道路の工事までは手が回らない。両護岸の工事が始まったのは、いつもより1時間ほど遅れて9時半頃だった。
K1護岸は先週で計画の長さに達しており、被覆ブロックが積まれた少し先から、くの字型に曲がってK2護岸が着手されている。すでにK2護岸は20メートルほどの長さに伸びていて、この日も捨て石を投下してショベルカーで打ち固める作業がくり返された。
基地の中は過積載などお構いなし、というのは高江でも沖縄防衛局がやっていたことだ。しかし、作業員の安全を考えるなら基地内だから過積載をしてもいいとはならない。積み荷は大きな岩であり、落下すれば大きな事故につながる。
被覆ブロックに寝転がっている海上保安官のすぐそばで、ダンプカーからモッコに石を下ろし、吊り下げる作業を行っている。これも安全上の観点からは許されないはずだ。
投下した石材をショベルカーがすくうと、白い粉が舞い上がっていた。とても洗浄したとは思えない。辺野古の護岸工事は無法地帯と化している。こんな杜撰な形で工事が進められ、海が破壊されているのだ。
そもそも、昨年3月末で埋め立てに向けた岩礁破砕許可は期限が切れている。県は再三にわたって工事の停止を求めており、日本政府は機動隊や海保という暴力装置を前面に出して、違法工事を強行し続けている。市民の力で1日も早く、この工事を止めなければならない。
K4護岸の方は、長島側に伸びていた部分の先端部が前日、根固め用袋材で覆われている。先端部を保護するためと思われ、この方向に伸ばす作業はいったん止めるようだ。
24日は午前中、K4護岸の工事範囲を囲っていた汚濁防止膜を撤去し、トレーラーで作業ヤードに運んで片付ける作業を行っていた。理由は分からないが、K4護岸の工事が今度どう進められていくか注目したい。
大型オイルフェンスを越え、作業現場に近づいて抗議するのは容易ではない。海保がGBで警備するなか、手漕ぎのカヌーで対抗するのは無謀とも言えることなのだが、それでも、少しでも工事を遅らせようと皆、何度もオイルフェンスを越えては拘束されていた。
旧暦の12月8日は沖縄ではムーチー(鬼餅)の行事がある。沖縄でも一番寒い頃で、ムーチービーサと言われてきた。ちなみに今帰仁では寒いことをピーセンと言う。1日中曇り空で風が強く、時折小雨が降る中で海に飛び込み、抗議を続けている。
アダンの茂みが切り払われ、辺野古岬が無残な姿をさらしていた。やがてここでも護岸工事が始まるのだろう。本格的な埋め立て工事が始まる前に、護岸工事や仮設道路の工事で海岸線は破壊され、砂浜や動植物は消されてしまう。
資料の数字だけを眺めて、まだ何十分の一しか工事は進んでいない、などと机上の議論をしていてはいけない。破壊は日々進められ、失われたものは元に戻せないのだ。辺野古の海で3年半カヌーを漕いできて、このような自然破壊を見なければならないのはつらい。
午前中で船を降り、午後は名護市長選挙の応援で、名護市内を車で走り続けた。写真は車を止めて休憩しているとき、道端に咲いていた島バラの花。
23日も渡名喜村のヘリポートに米軍ヘリが不時着している。海の上を飛ぶから安全なのではない。不具合が生じたヘリは陸地をめざす。市街地以外にも人は住んでいるのだ。ヤンバルや離島は犠牲になってもいい、というのは許されない。辺野古新基地建設阻止、沖縄の軍事基地全面撤去をめざしてがんばりましょう。