6月4日は旧暦の4月15日で、仲宗根区のタキヌウガン(嶽の御願・拝み)が行われたので参加した。台風が近づくなか天気が心配されたが、タキヌウガンの間は時おり小雨が降る程度で支障なかった。
最初に仲宗根・玉城・謝名・平敷の4字で拝んでいるスムチナウタキ(御嶽)へ行く。玉城はスムチナウタキに近いウイボロ地域の住民が参加。午後1時半からウタキの頂上にあるイベで、各字の区長と書記、女性たちによってウガン(御願・拝み)が行われた。その間、ほかの区民は下で待機。イベ(頂上部)は男子禁制の場所であるが、カミンチュ(神女)が高齢化や跡継ぎが決まらないなどで参加しておらず、区長(各字とも男性)ほか一部の男性も供え物を持ったり、ウチカビ(紙銭)を焼くなどの手伝いとしてイベに登った。年長者の指導を受けながら、書記(各字とも女性)が供え物の前に座って手を合わせ、後ろに区長ら男性が位置してウガンをうさぎた(捧げた)。
午後2時頃、区長、書記たちが下りてきて、下で待っていた区民とともに木々に囲まれた広場に移り、再度ウガンをうさぎた(上2枚の写真)。参加者は4字あわせて40人ほど。区長や書記をのぞけばほとんどが70代以上の皆さん。今年は天気が悪かったこともあり、例年よりも参加者は少なかったようだ。
スムチナウタキのイベは急傾斜で、お年寄りには上り下りが厳しい。広場からイベには縄が張られ、それに頼ったりもしているが、足場が悪いので階段を造ろうという話が以前から出ているとのこと。しかし、本来ウタキは草木を取ったり折ったりすることも禁じられている聖地である。容易に近づけない場所であるからこそ、自然が守られ厳かな雰囲気が作り出されてもいる。
県内のウタキは破壊や整備で原形を失ったり、変容している所が少なくない。スムチナウタキは人の手があまり入っていない、古いウタキの姿を残した貴重な場所だと思う。そこに機械を入れて工事を行い、コンクリートの階段を造ってしまえば、ウタキの有り様が大きく変わってしまう。周囲の森も含めて、現在の姿をぜひ残してほしい。
また、去年はなかったという拝所がイベの登り口に造られていた。誰が造ったかはっきりしないというが、勝手にこんな物を造っていいのか、という疑問や不満が数名の人から出ていた。
近年、県内各地のウタキで勝手に造られた拝所が問題となっている。スピリチュアルブームでウタキを訪れる人も増えている。しかし、地域住民にとってウタキは聖域であり、禁忌(タブー)となっていることもある。その地域の歴史や習俗を学んで配慮することは最低限の礼儀であり、勝手に現状を変えることは決してやってはいけない。そのことを心したい。
スムチナウタキでのウガンがすんだ後は、各字ごとにそれぞれの拝所でウガンを行う。仲宗根区は北側の海岸にあるピージャーガーに向かった。水の神ということでウコー(お香)には火をつけず、区長を先頭にウガンをうさぎた。
ピージャーガーはその名の通り崖の下に岩を削った樋があり、水が湧きだしている。子供の頃、家族や親せきで泳いだり、貝やウニを採った思い出深い浜である。しかし、この10年余で様子が一変してしまった。かつては男性の右手の平たい岩のあたりまで砂があり、ウッパマ(大浜)から長い砂浜が続いていた。それが一メートル近くも砂が流出し、一帯は岩がむき出しになって海藻が付いている。写真の真ん中から左側すべてが白い砂浜だったとは、初めて見る人には信じられないだろう。
一変した原因は、ピージャーガーの西側に造られた人工ビーチの突堤にある。突堤によって潮の流れが変わり、ピージャーガーの砂が流出する一方で、西側のクルイシ(黒石)付近に砂が溜まっている。元もと美しい手つかずの砂浜があった場所に人工ビーチを造るという馬鹿げた事業のため、さらに周辺の砂浜まで失われるという結果になっている。この事業には批判の声が多い。かつての浜の姿を想うと、怒りと胸の痛みを憶えずにいられない。
最後にムラウチにあるアガリギッチャでウガンをうさぎ、スムチナウタキに向かって手を合わせ、ウトーシ(お通し)をしてタキヌウガンを終わった。私が子供の頃はもう少し広い広場で、まわりにもっと木が茂っていた。1944年の10・10空襲の時、家からこの付近に逃げたと祖母は話していた。以前はここでタキヌウガンを終えたあと交流したとのこと。
その後、公民館のホールで参加者の懇親会が行われた。タキヌウガンが終わってしばらくしてから雨が降り出した。台風への恐れはあるが、農家にとっては恵みの雨である。五穀豊穣やムラ・シマの平安、発展を祈願して長く続けられてきたウガングトゥを大切にしたいものだ。