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Channel: 海鳴りの島から
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光州広域市/世界人権都市フォーラム2017

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 9月14日から18日まで韓国に行き、光州広域市で開かれた世界人権都市フォーラム2017という催しに参加してきた。写真は会場となった金大中コンベンションセンター。16日の午後に行われた「国家暴力と人権」というシンポジウムで辺野古新基地建設問題について話をさせてもらった。

 ほかには韓国のキャンドルデモや香港の雨傘各目についての報告があった。会場には50人ほどの参加者があったが若い人が多かった。今回、初めて韓国に行ったのだが、沖縄や辺野古のことがほとんど知られていないことを痛感した。

 キャンドルデモや雨傘革命については沖縄でもけっこうニュースになったのだが、辺野古のことは海外ではほとんど報じられていないのだろう。少しでも沖縄・辺野古の状況を知らせたい、という思いで参加したのだが、話を聞いた人が一人でも辺野古について関心を持ち、沖縄に来る機会があったら足を運んでほしいと思う。

 15日の午後には全南大学で私の文学と辺野古の問題について話す機会もあった。韓国ではこれまで『水滴』『魂込め』『眼の奥の森』短編集『魚群記』の4冊が翻訳・出版されている。私だけでなく沖縄文学についての関心が高まっているとのこと。

 米軍基地問題などヤマトゥより韓国の読者の方がリアルに受け止めるのではないかと思ってきた。これから『虹の鳥』も翻訳・出版される予定なので、多くの人に読んでもらえたら、と思う。

 今回、光州市を訪ねるにあたって、5・18光州蜂起で犠牲になった人たちの墓に参ることが念願だった。光州蜂起があった1980年5月、私は大学2年生だった。テレビや新聞で報じられる光州の記事に釘付けになり、学生や労働者、市民が戒厳軍に弾圧され、連行されていく映像に衝撃を受けた。

 同年12月の琉大祭は首里キャンパス最後の学園祭だったが、学生自治会主催で光州蜂起の映像がフィルム上映された。同世代の若者たちが殺されていった光州蜂起は、私にとって忘れがたい出来事だった。いま振り返って、その後の自分の生き方にも影響を与えたと思う。

 武装した市民が最後に立てこもり、5月27日に軍隊の投入によって市民の虐殺が行われた道庁舎や集会が開かれた広場も二度たずねることができた。

 虐殺された市民の遺体が置かれた建物が残っていた。道庁舎や警察庁舎の建物の内部を改装し、展示施設を建設中だが、遺族会が反対して工事が止まっているとのこと。記憶と記録の継承の問題は沖縄戦とも共通しているが、当時の状態に近い形で保存されている方が、歴史の生々しさと重みが伝わってくる。

 韓国は秋の気配で、暑い沖縄から行ったせいか風邪をひいてしまい、どうにか沖縄に戻ってきた。この場では名前をあげられないが、フォーラムに招いてくれたり、通訳を務めた方をはじめ、韓国でお世話になった皆さんに深く感謝したい。 


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