今日から海上行動も旧盆休みに入り、久しぶりに長時間の読書ができた。名護の街では夜遅くまで、エイサーの太鼓の音があちこちで響いていた。
今から20年余り前、今帰仁村に人工の光がほとんどない砂浜があった。小さな砂浜だが海亀がひと夏に産卵のため34回も上陸した浜だった。そこで産卵する母甕の姿や孵化して海に降りる子亀の姿を何回も見た。
晴れた日には満天の星。波打ち際には海蛍の光。沖の干瀬(ピシ)に白く砕ける波が光の帯のように見える。背後にはアダンの茂みがつくる闇。
その浜に座っていて、子亀が目指すという光が沖の白波だと気づいた。人工の光がない夜の海では、それくらい沖の干瀬に砕ける波が光って見える。背後のアダンの茂みは漆黒の闇で、光と闇の対比と潮の匂い、砂浜の傾斜が子亀を海に導くのだろう、と感じた。
孵化して海に降りていく子亀の状態も産卵場によって変わった。条件のいい所では、産卵場から出た子亀が扇状に広がり、一散に海に降りていく。条件の悪い所では、砂から出ることができずに途中で死んでいる子亀や孵化できなかった卵もかなりあった。
その砂浜には3匹のマンタンバ(アカマーター)がいて、砂に潜って子亀を食べていた。においで産卵場の位置を知るのだろう。マンタンバの這ったあとをたどって産卵場を見つける術も知った。
それももう遠い昔のことだ。今は浜のすぐ近くにヤマトゥやペーカタ(沖縄島中南部)のゥエーキンチュの別荘や家が建っている。
海亀やジュゴンの保護、共生を人間が言う。彼らは別に保護されることも、人間と共生することも望んでいないだろう。今まで生きてきたように、これからも生きていくだけのことだ。
もし人間以外の生物が何かの望みを持つなら、人間という種が1日も早く地球上から亡びることではないかと思っている。