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沖縄戦慰霊の日に

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 23日は沖縄戦慰霊の日で午前中、本部町の八重岳にある「三中学徒之碑」に行き、手を合わせてきた。私の父は1930年(昭和5年)の生まれで、三中鉄血勤皇隊の一員として、この地で戦闘に参加している。

 子どもの頃に父から聞いた八重岳での体験。日本軍の銃は一発撃つたびに薬莢を出さなければならないが、下から上がってきた米軍の銃はパラパラパラパラ続けて撃てる。それを見て、これは勝てないと思った、と話していた。

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 「三中学徒之碑」の慰霊祭は2年前の戦後70年の年で終了した。県立名護高校の校庭で南燈同窓会の慰霊祭が行われているが、仲間が戦死した地に慰霊碑を建て、慰霊祭を行いということで別に行われて来ていた。元学徒や遺族の方がぽつぽつと来て、思い出話をしていた。

 碑からは伊江島が見える。遺族の一人が、伊江島から米軍が上陸するので八重岳から砲撃してほしいという要請が続いたが、宇土隊長はしばらく待て、とくり返し、最後の連絡に、健闘を祈る、と返して最後まで撃たなかった、という話をしていた。

 これも父から聞いた話。三中の学生が難儀して大砲を八重岳の上まで運び上げた。しかし、友軍は一発も撃たなかった。もし撃ったら、場所が分かって何百発も艦砲が返ってくる。撃てる状況ではなかった。

 宇土隊長が砲撃を命令していたら、米軍は被害を受けただろう。だが、八重岳の犠牲者も増していたはずだ。

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 「三中学徒之碑」の敷地にこぼれた水を、ボロボロになったコノハチョウが下りてきて吸っていた。しばらくして飛んでいったが、敗残兵が末期の水を飲む姿が思い浮かんだ。

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 「三中学徒之碑」から100メートルほど頂上に向かって進むと、右手に「国頭支隊本部壕・野戦病院跡」がある。道路には案内表示があり、きれいに草が刈られていたが、訪れる人は少ない。ここに置き去りにされて自決した兵士たちもいる。北部の戦争を記憶にとどめるために、ぜひ学びの場として足を運んでほしい。 

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 午後は「少年護郷隊の碑」の慰霊祭に参加した。護郷隊のことがメディアで取り上げられることが多くなったせいか、今年は参加者が多かった。ただ、元護郷隊員の参加は2人まで減り、私たちがいなくなっても…、毎年この日この時間に慰霊祭を続けてほしい…、というあいさつが胸に迫った。

https://www.youtube.com/watch?v=EuaS1f3km6M&feature=youtu.be

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 護郷隊のことが最近、メディアでよく取り上げられるようになったのは、沖縄戦の研究の広がりを示すと同時に、沖縄戦の体験者が減っていることもあるだろう。当時10代半ばだった人も今は80代半ばとなった。実際に銃を手にして戦った最後の世代の沖縄戦体験を記録と記憶にとどめたい。

 このあとナングスクにある和魂の碑にも行こうとしたが、土砂崩れで道が通れなかった。沖縄戦についてもっと調べたいのだが、高江や辺野古の活動に時間を取られて、思うようにならないのがもどかしく悔しく腹立たしい。

 ただ、辺野古や高江の反戦・反基地の取り組みこそ沖縄戦の体験を今に生かすことである。


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