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Channel: 海鳴りの島から
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沖縄戦と憲法

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 沖縄戦のさなか、沖縄の女性を暴行しようとした日本兵の話は、山川泰邦著『秘録 沖縄戦記』(読売新聞社)にも出てくる。山川氏をはじめとした那覇暑の本部員、島田知事、玉城真和志村長など百数十人がこもっていた繁多川の洞窟でのできごとである。

〈四月半ばのある夜ふけ、洞窟内に突然あらあらしい人声がして、いっせいに飛び起きた。暗闇の中で、激しく争っている声だけは聞こえるのだが、姿は見えない。あちこちでロウソクがともされ、あたりが明るくなると、真和志村役場吏員のKという男が、一人の上等兵に向かって日本刀を抜いて「たたき斬ってやる!」とわめいているのだった。上等兵のほうは「手榴弾を投げるぞ!」といきまいている。この二人の殺伐な姿を見て、洞窟内は騒然となった。
 警官たちが駆けつけて、やっと取り押えた。一応話を聞いたうえで、兵隊を近くの部隊に送り、Kは署長の命令で検束された。もちろん留置場はない。仕方がないので、Kを後ろ手にしばり、看守巡査をつけて二十四時間洞窟の一隅に留置した。
 事件のいきさつはこうだ。
 騒ぎのあった深夜、相手の上等兵がやってきて、部隊に負傷者が出たとの理由で、真和志村役場の看護婦を連れ出そうとした。これを見てKが、この深夜、女ひとりやるのは心配だからいっしょについて行くと言ったところ、上等兵は「オレがついているから男はいらん」と言い出したのがケンカのもとだった。
 あとでKに、いっしょについて行こうとした訳を聞くと、「わたくしたちも満州事変のとき、その手で女を連れ出した。初めからあいつの魂胆がわかっていたからです」と答えた〉(174〜175頁)。

 〈四月半ば〉といえば宜野湾の嘉数高地をめぐる攻防など、沖縄島中部地区で激しい戦闘が行われていた時期である。砲爆撃はあっても繁多川周辺にはまだ米軍は迫っていなかった。4月29日の天長節には、洞窟内で辻の芸妓も混じって演芸会が催されている。そういう状況で、軍紀が保たれていなければならないはずの日本軍部隊に、こういう兵隊がいたのである。
 同僚の看護婦を助けた真和志村役場のKという男性は、「わたくしたちも満州事変のとき、その手で女を連れ出した。はじめからあいつの魂胆が分かっていたからです」と山川氏に説明している。満州事変は1931年9月18日の柳条湖事件に端を発する。Kという男性の言葉によれば、以来14年近く、言葉巧みに女性を騙して外に連れ出し暴行を加えることが、日本陸軍の伝統と化していたことになる。
 第32軍司令部壕の説明板問題は、沖縄の日本軍と慰安婦・慰安所の関わりの深さを再認識させた。沖縄女性史を考える会の調査によれば、沖縄県内各地に131ヵ所の慰安所が設けられたという。日本軍は満洲や中国各地で行った女性への暴行と慰安所設置を、表裏一体のものとして沖縄に持ち込んだのである。

 今日は憲法記念日である。憲法9条をめぐって護憲、改憲の議論が何十年もつづいているが、そもそも軍隊とは何か、軍隊は本当に住民を守るのか、という根本的な問いが考えられなければならない。その時、沖縄戦における日本軍の実態を知ることが大切になる。沖縄だけはない。満洲でも関東軍は開拓移民を見捨てて退却した。そのために逃げ遅れた開拓移民が、どれだけの悲劇を経験しなければならなかったか。
 日本国憲法は庶民が体験した戦争と切り離して考えてはならないし、憲法9条は日本の侵略によって犠牲となったアジア諸国に向けられてあることを忘れてはならない。

 


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