12日は朝、カヌー11艇で松田ぬ浜を出発した。午後からは4艇が加わり、計15艇で海上作業に対する監視・抗議活動を行った。長島の近くまで漕ぎ、フロートの前に設置された固定式の汚濁防止膜を観察しながら、海上・陸上での作業の様子を見た。
キャンプ・シュワーブの映画館付近にある作業ヤードでは、午前8時前から消波ブロックの製作作業が始まっている。ゲートから入った生コン車が型枠にコンクリートを流し込み、ある程度固まると型枠をはずして大型クレーンで移動し養生する。そのくり返しだ。
ポセイドン1と5隻のスパッド台船はこの日も海底の調査を行っていた。昨日の本ブログで、辺野古弾薬庫下の小浜(くばま)の工事用仮設道路が終わったようだ、と書いたが、現場近くで見たメンバーの話では、今日も浜に布団かごが並べられ、鉄板が敷かれていたとのこと。まだ完成していないようだが、一部メディアは来週17日にもk9護岸が着工すると報じている。遅くても今週中には終える予定なのだろう。
大浦湾に出て新たに設置された大型オイルフェンスを確認した。カヌーや人と比較すれば、その大きさが分かるだろう。カヌーチームも越える対象がどんどん難しくなるので大変だが、工夫してやっていくしかない。
一時撤去されていた航路標識が、16日(日)に再設置されたので傍まで行ってみた。沖縄防衛局の電話番号が記され、管理権が防衛省に移ったらしい。こうやって海の軍事化が進み、沖縄人の生活を支えていた海が戦争のために利用されていくのだ。この海や空、陸で鍛えられた米兵がアジアや中東各地でどれだけ虐殺をやってきたか。トランプ大統領にシリアを批判する資格などないのだ。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Afghan/afghan-photo/afghan-photo.htm (閲覧注意)
米国に盲従することしかできない日本政府と、それを支えている日本国民が情けない。
https://www.youtube.com/watch?v=ugIY08BhN2k&feature=youtu.be
午後2時頃になって、大浦湾の長島付近に投下されたコンクリートブロックのブイに作業和船が集まりだした。浮沈式汚濁防止膜の設置にむけた準備だと判断し、瀬嵩方面に行っていたメンバーも急いで戻った。
この日は北風でフロートが沖の方に張り出し、汚濁防止膜をつなぐコンクリートブロックの投下地点がフロート内に収まっていた。4月になって南風が吹き、大浦湾側にフロートが流されたときは投下地点を示すブイが外に出ていたのだが逆となった。作業員たちも自分たちに好条件を逃しはない。
オイルフェンスも大型に替えられ、波風も難しい条件だったが、カヌーチームはタグボートで運ばれてきた汚濁防止膜を目指して抗議行動を行った。オイルフェンス内に入った全員が拘束され、海保のゴムボートで松田ぬ浜に運ばれた。
松田ぬ浜に運ばれてカヌーを片づけていると、米軍の水陸両用車十数台が訓練を終えて戻ってきた。上陸後、米兵たちは水陸両用車から降り、浜で記念撮影を行っていた。彼らは沖縄の歴史も知らなけれが、沖縄人が置かれている状況も知らないだろう。1年前、希望に満ちあふれていた二十歳の女性が元海兵隊員の軍属に殺害された。それさえ知っているかどうか。
これが「戦後」72年たった沖縄の日常の風景だ。この米兵たちもいずれ戦場に送られ、何名かは犠牲になるだろう。家族はキャンプ・シュワーブの浜で撮られた記念写真を遺影の横に飾るのだろうか。