31日は朝、カヌー12艇で松田ぬ浜を出発した。1月も終わりだが、まだフロートの設置作業が行われている。従来のフロートならとっくに終わっていただろうが、余計な物を取り付けたために時間がかかり、いまだ海底ボーリング調査や汚濁防止膜の設置に向けたコンクリートブロックの投下に取りかかれない。
カヌーでどんなに頑張ってもここまで作業を遅らせることはできないのだが、これまでの抗議行動が与えたプレッシャーによる成果である。辺野古岬と長島の間に張られた網フロートは、所々網が垂れてしまっている。四角い木枠には浮き玉が付けられているが、安定感を付けるにはそうするだろうと思っていた。とは言っても、手で押せば引っくり返りそうになる程度ではあるが。
長島の近くはフロートに隙間ができている。大浦湾側も同じなので、この穴をふさがないとロープや網を張った効果が半減する。今日はそこを塞ぎに来るだろう、と予想してフロート付近で待機していたら、案の定、作業和船で小玉のフロートの短いやつを数本運んできた。
最初に大浦湾側の隙間から塞ぎに来たので、カヌーチームで2回に分かれて抗議した。長島の断崖絶壁のそばで波も荒く、厳しい条件での抗議だったが、カヌーメンバーの奮闘で一時作業が中断した。最後は全員が海保に拘束されてしまったが、解放されたあと汀間漁港で昼食をとり、午後の行動に向かった。
午後は辺野古岬の岩場で、単管を組んだ柵をフロートに固定し、網を張ろうとしていたので、それに抗議を行った。潜水士が10人ほど出て単管を運ぼうとするのに、フロートにしがみついたりして抗議を続けたので作業が止まった。
海保や軍警備員、民間警備員が多数出てきて騒然とした状況となった。焦った軍警備員が海に飛び込んだこともあり、海保の方から作業を中断するように指示が出た。作業員たちはいったん海に出していた単管の柵を陸に戻し、しばらく様子を見てから引き揚げていった。
まだ午後2時過ぎだったので、いったん離れた場所まで下がって、作業が再開されないか監視を続けた。午後4時まで様子を見たが、作業員たちは出てこなかったので松田ぬ浜に戻った。緊張した場面もあったが、カヌーと船のメンバーの勇気ある行動で単管の柵を設置する作業を止めることができた。
年明けから1か月が過ぎ、冬の海で連日厳しい闘いが続いている。海に落とされたあと、風に吹かれると体が冷えてかなり厳しい。それでも、これ以上沖縄に新しい軍事基地を造らせない、という思いで海に出ている。
昨年は4月に二十歳の女性が元海兵隊員の米軍属に殺害され、12月にはMV22オスプレイが名護市安部の海岸に墜落した。このような重大な事件、事故が1年に2度も起こる都道府県が沖縄以外にあるか。国がやることだから…と泣き寝入りしてはいけない。沖縄からこれ以上の犠牲者を出してはいけない。