4日は今年最初の海上行動で、まだ里帰りから戻っていない人も多く、カヌー10艇が松田ぬ浜を出発した。辺野古岬の岩場を抜けて大浦湾に出ると、抗議船4隻と合流して、浮桟橋が用意された海岸に面して監視行動を続けた。
午後10時を過ぎても浮桟橋の方に作業員は出て来ず、米軍のリゾートビーチの方でフロートをトラックから下す作業が始まったので、カヌーもそこに移動した。
午前中は内陸部に運んであったフロートをトラックで浜に運ぶ作業が続いた。カヌーや船から作業に対して抗議したが、浜に向かって右手の森は辺野古弾薬庫だ。安部に墜落したMV22オスプレイがもしキャンプ・シュワーブに着陸しようとし、制御不能になって辺野古弾薬庫に墜落していたらどうなっていたか。辺野古に新基地が建設されるということは、そのような恐怖に常にさらされることを意味する。
午後2時45分頃、作業員が軍警備員に話しかけて海岸近くに止めていた車を移動させた。トレーラー車を入れるために場所を確保したな、と思い注意していると、2時50分頃にトレーラー車がやってきた。午後3時頃、海保のゴムボート3隻を追加で下し(計10隻)、さらに和船(作業船)を下して、米軍のリゾートビーチの前面に置いてあったオイルフェンスを引き出し始めた。
浮桟橋を設置する前に、その周りをオイルフェンスで囲ってカヌーや抗議船を排除しようとするもので、3隻の作業船の動きを見ながら抗議を行った。オイルフェンスを設置しようとした作業船の船首にしがみつき、カヌーから立って抗議しているところを海保に海に落とされた。
オスプレイが墜落しても米軍には何もできないくせに、沖縄県民には居丈高に弾圧を行う。海保はそこまでして米軍に奉仕したいのか。海保がいくら米軍に尽くしても、目の前で証拠を運び去られ、警察権は行使できず、虚仮にされているだけではないか。
今年はのっけから海に落とされたが、こんなのはまだ序の口だ。これから長い闘いが始まる。海でもゲート前でも、体を張って頑張りましょう。オイルフェンスやフロートを張るだけでも時間を費やす。それも海上での抗議行動があるからだ。4日もカヌーや抗議船がいなければ、午前中からオイルフェンスの設置が行われ、浮桟橋まで設置されていたはずだ。海でも陸でもまずは自分が行動しないと始まらない。