年末は実家の庭の掃除や剪定をして過ごした。高江に通っていて手入れをする時間がなく、草が伸び放題になっていたが、どうにかきれいに片づけて正月を迎えることができた。冬場は花が少ないが、池のスイレンやスパンプ(つわぶき)、ブーゲンビリアが咲いている。
つかの間の休息が終われば、辺野古では埋立に向けた新基地建設工事再開を阻止するために、4日から海上行動が再開される。キャンプ・シュワーブのゲート前でも資材搬入が本格的に始まるだろう。体を張ってでも止めようという人が集まらなければ、工事はどんどん進む。
インターネット上でどれだけ吠えようが、議論をかわそうが、実際に工事が進められている現場に人が集まらなければ話にならない。沖縄独立だの自己決定権だのと大きなことを言っても、現場にどれだけ沖縄人が参加しているか。辺野古の海でも高江の森でも情けない思いを味わうことがしばしばだ。
政府は沖縄人の動向を観察している。翁長知事の権限や姿勢を云々する前に、自分自身が工事を止めるために力を尽くさなければならない。日本政府にとって沖縄は憲法や民主主義の番外地であり、機動隊や海保という暴力装置を使って何でもありの状況をつくり出す。沖縄人がそれを跳ね返しきれなければ、沖縄にろくな将来はない。
八重山の友人から届いた年賀状に自衛隊問題が記されていた。地元で苦労しながら粘り強く反対運動をつくっているだろう。宮古もかつて教員をしていた場所だけに、自衛隊問題に取り組んでいるだろう人たちの顔が何名か思い浮かぶ。それぞれの島で活動に深く関われば、現場を離れることは簡単にできなくなる。
沖縄では宮古・八重山の自衛隊問題に関心が薄い、と批判するナイチャーがいるがふざけた話だ。辺野古でも高江でもたまにしか取材に来ないのに「深く密着」しているかのように演出する者をうんざりするくらい見てきた。あちこち渡り歩くのは勝手だが、米軍も自衛隊も沖縄に負担と犠牲を強要しているのは誰なのか。
時間も金も使い、見返りを求めるどころか損することばかりなのだが、それでも献身的に頑張っている人たちが、どこの運動の場にもいる。なかなかに交流することもできないほど厳しい状況だが、それぞれの現場で体を大事にしつつ、ちばらなーやーさい。沖縄を1日ん早く「基地の島」ぬ苦世から解放さーびら。