8月5日から6日かけて、泊まり込みでN1裏の集会の裏方仕事や、N1表で進んでいる砂利搬入に対する抗議行動を行った。5日の集会の様子は多くの人が伝えていると思うので省略する。それよりも目を向けないといけないのは、多くの人がN1裏に行き、関心を注いでいた5日にも、ダンプカー14台分の砂利が搬入されたことだ。集会に参加した大多数の人はこの現実を見ていない。それで高江の何が分かったのだろうか。
N1ゲートから入ったダンプカーは、砂利を降ろして戻るまでに7分間を要している。1分間で砂利を降ろし方向転換したとして、片道3分で行き来する距離に作業ヤードがあるわけだ。搬入された土砂の量、所要時間からすれば、すでに1キロ近く路盤整備がなされていてもおかしくない。
N1の表側からの工事は土砂崩れや道幅の狭い場所があって難しく、見せかけにすぎない。そういう主張もあったが、現実はまったく違う。毎日ダンプカー14台分の砂利が着実に搬入されている。機動隊の配置状況を見ても、政府・沖縄防衛局はN1表側から工事を進めていく態勢を取っているし、工事は順調に進んでいるとみていい。
5日は夕方からN1裏で集会が開かれ、かなりの人が宿泊して警戒に当たった。6日はテント撤去がなかったが、それを成果ととらえるなら違うと私は考えている。5日の状況は7月21日とはまるで違い、警察側まったくやる気がなかった。
7月21日は午後4時ごろから駐車禁止の看板を出し、市民の車両を排除し始めた。5日はそういう動きはないどころか、集会前にN1裏の前に止めていた警備車両を自らどけることさえした。集まった市民から拍手が上がり、抗議の成果のように受け止めた人もいるかもしれないが、警察が本気でテントを撤去しようと思うならどかすはずがない。
7月21日の夜は安波ダムの駐車場に機動隊の車両が結集し、N1表に集まっていた市民は緊張の中にあった。しかし、5日は警察の動きはなく、N1裏はおしゃべりしたり音楽を楽しんだり、21日とはまるで雰囲気が違っていた。
明朝はN1裏のテント撤去がないと5日の夜で判断したので、6日は早朝からN1表の方に行き、N1裏の集会とは別行動をとった。この日も前日と同じように国場組の採石場から北部訓練場のメインゲートに砂利を積んだダンプカーの車列が北部訓練場のメインゲートに入った。
メインゲートからN1ゲートに砂利を運ぶダンプカーに対して抗議行動を行ったが、多くの人はN1裏の集会に参加していて、もっと抗議する車と人がいれば、と残念だった。みんな工事を止めに来たのではなかったのか。6日は午前中、雷雨が激しくなったため、ダンプカー10台分の砂利を搬入したところで、立哨警備していた機動隊やアルソックが避難し、10時前にはN1ゲートが閉門された。
N1裏で夜を明かし、集会を開いて盛り上がるのはいい。しかし、N1表で着々と工事が進行している現実を直視しなければ、愚かとしか言えない。6日は東村祭りがあったからN1裏の撤去をしなかったのではない。沖縄防衛局がN1裏からは工事が進められないことを分かっていて、N1表からの工事に力を注いでいる。
もしN1表からの工事が困難で、裏からしか工事ができないなら、7月22日の時点でN1裏のテント撤去を優先していたはずだ。N1の建設予定地にいたる林道の地形上の問題だけでなく、機動隊の配置など警備体制も考慮しなければ、工事の進め方は判断できない。このことについては明日もう少し詳しく書いてみたい。