7日は午前にカヌー7艇、午後は5艇で松田ぬ浜を出発した。前日に続きゴムボート(ポセイドン)も同行し、大浦湾で抗議船2隻(ぶるーの船、平和丸)と合流した。
午前中、松田ぬ浜から続くキャンプ・シュワーブ内の浜で水陸両用車が走行訓練を行っていた。時折、浜を往復して走り回るのだが、ウミガメが産卵に訪れる浜がそのたびに荒らされる。
この日は廃弾処理の爆発音や機関銃の射撃音が鳴り響いていた。前日はCH53Eの爆音がひどく、破壊と殺戮のための訓練が、住民生活を脅かしながら行われている。
長崎の岩場に入って浜の様子を見てから大浦湾に移動した。浜の方では目立った動きはなかった。
この一帯では干潮時、フロートが岩場に打ち上げられる。以前指摘したように、フロートがぶつかることで岩が磨滅している。潮流の変化も含めて、フロートの設置がもたらしている自然環境への影響について、沖縄防衛局や県は丁寧に調べて県民に明らかにすべきだ。
大浦湾に出ると、仮留めされていたオイルフェンスが昨年末の地点に接続され、長島から航路方向に向けて伸ばされていた。カヌーや抗議船の動きを規制するためで、そのために長島の間を抜けて汀間方向に向かう航路が大幅に狭められている。
スパッド台船と緑のクレーン付き台船では、この日も海底ボーリング調査が続けられた。フロート沿いで作業の様子を見ながら、午前11時前に長島の近くからカヌー7艇でフロート内に入り、スパッド台船をめざしたが、途中で海保のゴムボートに拘束された。
陸上ではこの日、いつも動いている2台のクレーン車は止まったままだったが、バックホーが動いているのが見えた。朝、ゲートから作業員が乗った車やL字型のコンクリート擁壁、栗石を乗せたトレーラー、ダンプカーなどが20台以上入ったとのことで、陸上での作業も本格的に再開されている。
栗石はさらに2回追加で入ったとのことで、大量の布団かごが作られ、仮設道路や仮桟橋などの準備が昨年から継続して進められている。ゲート前に人が集まって、作業車両を止めなければ工事は進む。いくら理屈をこねても現実は容赦ない。誰かがやってくれるだろうではなく、陸でも海でも自分がやるかやらないか、それだけだ。
拘束後、松田ぬ浜で解放されたので、昼食はテント2でとった。午後は大浦湾でしばらく様子を見たあと、大きな変化はなさそうだったので、抗議船に乗って瀬嵩側の状況を確認した。コンクリートブロックを載せた台船は昨年末と同じ状態で、周りのフロートもまだ再設置されていない。
浜の仮設道路も昨年末のままで、新たな動きは見られない。マスメディアはコンクリートブロックが海に投じられるのを注目していて、この日も瀬嵩の高台にテレビ局がカメラを担いでやってきていたとのこと。宜野湾市長選挙に政府が力を入れている中で、瀬嵩側の動きも注視していかなければならない。
7日は少し早かったが、午後3時頃に現場を引き上げて海上行動を終えた。午前中、海保に拘束された際、海に落ちて体が冷えたが、冬の抗議行動はこれくらい当たり前、という気持ちでやっている。この季節にカヌーで抗議できること自体、沖縄ならではであり積極的にカヌーに乗ってほしい。