30日は朝、カヌー16艇で松田ぬ浜を出発した。6月30日に海底ボーリング調査が行われてから、4カ月が経った。台風や国と県の協議による中断があったにしろ、これだけの期間にわたり調査が止まっているのは、海上とゲート前での抗議行動があってこそである。
作業が再開されても、やることの基本は同じだ。まずは作業が行われている現場に多くの人が集まり、徹底して国の強権行使に抵抗することだ。カヌーは練習が必要だが、ゲート前の座り込みはすぐにできる。辺野古の島袋文子さんが先頭になって座り込みに参加していることが地元紙に報じられている。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-162982.html
沖縄戦を体験したお年寄りたちが、体を張って工事を止めようと必死に頑張っている。その姿を見て心を動かされないか。MV22オスプレイの訓練について佐賀県では県民世論を配慮し、沖縄県では徹底して無視する。沖縄の犠牲の上に成り立つ「平和と安全」に安住している日本人はただの恥知らずである。こういう状況をいつまで続けるつもりか。
辺野古崎に向かう途中、キャンプ・シュワーブの作業の様子を見ているが、辺野古側の陸上部では目立った作業はない。一方で、大浦湾側ではバックホーが山積みとなったコンクリートの粉砕された瓦礫を崩し、地面に敷きならしたり、ダンプカーに載せる様子が見られた。作業ヤードの路盤整備をもって本体工事着工と強調し、あたかも埋め立て工事が行われているかのような欺瞞がふりまかれている。
辺野古崎と長島の間に張られたフロートはまだ一重で、二重三重にする作業を阻止するためにフロート沿いで監視活動を行った。午前中は浮桟橋の設置作業が行われ、そのあと午後に海上保安庁のゴムボートがクレーンで十数隻下ろされている。ほかにも8~9隻が海上で弾圧態勢を敷いていた。
フロートのそばでハタの幼魚らしい魚が泳いでいた。手を海に入れるとそばに寄ってきた。しばしの憩いになった。
平島で昼食をとり、午後も引き続き監視活動を行った。フロートやオイルフェンスを運ぶ海人丸と小型の作業船5隻が動いていたが、米軍ビーチ周辺でフロートを移動したり、整理している様子が遠目に見えた。カヌーチームと抗議船がいたため、辺野古崎と長島の間のフロートの二重・三重化は準備だけにとどめたのか、この日は辺野古崎や長島側に作業船が来ることはなかった。
途中、長島の間を抜け、大浦湾に出て様子を見た。前日の午後、カヌーメンバーが海保に不当拘束されて浜に強制移動させられたあと、大浦湾でフロートやオイルフェンスを二重・三重にする作業が進められている。相も変わらず、ここまでやるか、というくらい四重、五重にフロート・オイルフェンスが張られているが、これを越えていかなければならない。
午後4時半過ぎまで辺野古崎と長島の間に張られたフロート付近で監視活動を続け、そのあと松田ぬ浜に戻った。この日は作業船との接触はなかったが、カヌーチームと抗議船がフロートのそばに遅くまでいたからこそ、新たな作業は進められなかった。
31日はこの日準備したフロート・オイルフェンスの設置が行われるだろう。ゲート前では連日激しい阻止行動が行われている。その姿勢に学んで海上でも作業を止めましょう。