24日は午前8時45分頃、松田ぬ浜をカヌー12艇で海上抗議行動に出発した。6月は瀬嵩側での抗議行動が続いたのだが、スパッド台船が移動したことにより、久しぶりに辺野古側からの出発となった。キャンプ・シュワブの東岸を北上すると、映画館の北側に残っていた塔も解体され、瓦礫と化していた。辺野古崎の岩場を抜けて長島の方に漕いだ。
海上保安庁のゴムボートや作業船が停泊している浮き桟橋の近くに、2隻のスパッド台船が置かれている。緑のネットが掛かったままなので別の場所に移動する可能性があり、移動が始まったらすぐに対応できるように長島の南側海域で監視を続けた。
長島の北側で第七浪速丸と作業船がフロートやオイルフェンスを繋げている、との連絡があり、長島の間を抜けて大浦湾に出た。オイルフェンス沿いで作業に抗議したが、作業船までは距離があり、フロート内に入るのは控えて、抗議船からマイクで慰霊の日について触れながら、海を破壊する作業を止めるように訴えた。
作業船に向かって直接行動することはなくても、オイルフェンスのそばにカヌーや抗議船が並んでいることで、作業船は近づくことができない。日によって諸条件が異なり、カヌーでできることは限られていても、ベストを尽くすことで作業は少しずつ遅れていく。その積み重ねが大きな成果を生み出す。
カヌーや抗議船の上で昼食をとり、午後3時まで監視行動を続けた。2隻のスパッド台船に人の姿はなく、フロートやオイルフェンスの張り直し以外に大きな動きはなさそうだったので松田ぬ浜に戻った。天候の急変に注意しながら活動となったが、雨や雷がなかったのは助かった。
長島の岩場に繁っているアダンに赤い実がいくつもなっていた。沖縄で生まれ育った私には当たり前の風景なのだが、ヤマトゥから来た皆さんには珍しいらしい。いや、自然の海岸が破壊され、コンクリートで固められることにより、沖縄の若者もアダンの実を目にする機会が減っているだろう。
辺野古崎や長島、平島には沖縄の本来の姿が残っている。しかし、アジサシの営巣地となっているこの島も、辺野古新基地が建設されれば今の状態は保てない。V字形滑走路のすぐそばでアジサシが子育てをできるか。 沖縄戦の慰霊の日をはさんで強行されているボーリング作業を、何としても止めましょう。