6日はカヌーチーム30人が海上抗議行動に参加し、2人乗りをふくめて25艇のカヌーが、午前9時半頃に瀬嵩の浜を出発した。土曜日で多くの参加者があったので、この日は6班体制での取り組みとなった。
海底ボーリング調査をおこなうスパッド台船3台とクレーン付台船1台が埋め立て予定海域に並んでいて、フロートのそばからカヌーと抗議船3隻で、調査をやめるよう抗議の声を上げた。また、4日に海上保安庁のゴムボートが、泳いでいたカヌーメンバーに衝突した事故についても、引き続き抗議をおこなった。
フロート付近に着いた時点では、手前とその次に見えるスパッド台船で掘削棒が下りていたが、そのあと新しく設置された3台目のスパッド台船でも掘削棒が下ろされた。日本政府・沖縄防衛局は、なにがなんでも6月30日で海底ボーリング調査は終了した、と打ち出したいのだろう。それを許さず、もっとやっていればよかった、とあとで後悔しないように、時間をやりくりして抗議行動に参加したい。
梅雨の沖縄は天気が不安定で、朝から雨雲がたれ込めていたが、午前10時をすぎて雨が降り出した。午前10時半頃、各班で工夫を凝らしてカヌーをフロートに入れ、さらに泳ぐメンバーが船から海に飛び込んでスパッド台船を目ざした。カヌー数艇が台船を囲んでいるフロートまで行ってすぐそばで抗議した。
カヌーや参加者が多ければ、海保も対応に終われ手薄になる。ゴムボートに引き揚げられてからも、再度海に飛び込んで台船の近くまで泳ぎ、抗議するメンバーもいた。フロートの外からも、奮闘するメンバーに激励や海保の弾圧を批判する声が飛んだ。
午前11時50分頃、海保のゴムボートに乗せられたカヌーメンバーが瀬嵩の浜近くで解放された。1時間余りゴムボートに乗せられたせいで、濡れた体が風で冷えて寒気を覚えたメンバーも出た。島ぐるみ会議のみなさんが県道で応援し、浜に迎えにくるのを怖れてか、海保のゴムボートの保安官が、浜に近づくなという指示が出ている、と漏らしていた。浅瀬まで近づくとまわりを取り囲まれないか、と警戒しているようだ。
日米両政府が注目しているのは、翁長知事や稲嶺市長の動向だけではない。キャンプ・シュワブのゲート前や辺野古の海、大浦湾での抗議行動の内容や参加者の数にも目を向けているし、それが嘉手納基地などに波及していかないかを懸念している。現場での取り組みが形骸化し、米軍にとって脅威でなくなれば、日米両政府は安心して工事を強行する。
政治とは行政や議会、外交の場だけでおこなわれているのではない。大衆運動の現場での動向も政治の重要な要素だ。沖縄の「戦後史」は大衆運動の力が大きな意味を持ってきた。米軍統治の圧制下でも、ウチナーンチューは時に米兵の銃剣に対峙してたたかってきた。キセンバル闘争では米軍演習場の着弾地に潜入し、実力で実弾演習を阻止した。いまよりももっと厳しい状況のなかで、沖縄の先人たちが激しく抵抗し、たたかってきた歴史を学び直したい。