7日は辺野古の浜を出たあと、いつもの通りフロート付近を通って辺野古崎まで漕いだ。11月7日付琉球新報朝刊に〈桟橋工事着手か/辺野古 設置予定地で伐採〉という見出しの記事が載っていたので、新聞掲載の写真の現場を確認した。
辺野古崎先端部に近い場所のアダンの繁みなどが伐採されて、板で壁が作られている。その背後には建物が見えるが、アスベストが使用されている解体予定の診療所だろうか。
琉球新報に掲載されている写真の右側にも、板で壁が作られている場所がある。その前の浜にはフロートが置かれたままになっている。航空写真で見ると、その地点が、キャンプ・シュワブの中央を貫く道路の突端にあたるようだ。
ふだんは遠くから見ているだけで、琉球新報の記事を見て改めで気づかされたのだが、ただ、繁みの伐採は以前に行われていたようだ。下の写真は10月30日に撮影したものだが、この時点ですでに同じように板で壁ができている。
6日は辺野古崎付近で午前中、何かを切断する音が聞こえていたので、琉球新報の記事を読んでこの伐採だったのか、と思ったが、別の作業を行っていたらしい。ただ、アスベストを使用した施設の解体工事とともに、桟橋設置に向けた準備が進められている可能性は大きい。海上とゲート前での観察を強めなければならない。
アスベストを使用した隊舎の近くでは、7日もオレンジと黄色の2台のバックホーが作業を行っていた。はつり作業を行っている音が聞こえていたので、何かの解体工事を行っているのは間違いない。
前日まで設置されてた米軍テントは姿を消し、米兵が片づけ作業を行っていた。この日は朝からスーパーコブラ2機がキャンプ・シュワブ周辺で訓練を行っていた。カヌーの真上を通過することもあり、海上や辺野古集落、シュワブ上空で旋回飛行をくり返していた。
辺野古崎から大浦湾に出て東に向かい、長島の間を抜けて辺野古崎に戻った。けっこう波が荒く、緊張のなかでの訓練となったが、バディとチーム全体で助け合いながら、全員が無事に漕ぎきった。こういう状態の海を漕ぐことで自信がつく。
リーフ内に戻ると、海の表情が一変して穏やかになる。ゆっくりと辺野古の浜に向かって漕ぎながら、辺野古の海の美しさを満喫した。この海を守るために、今できることに力を尽くしましょう。