〈米、辺野古移設断念へ〉という大きな見出しが2月4日付沖縄タイムス1面に躍った。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-02-04_29420/
すでに2006年当時から、予算削減のための海外基地縮小、輸送能力の向上による機動性重視、中国の中距離ミサイルの射程外に出る必要性は言われていた。この6年で米国の財政危機の深刻化や中国の軍事強化がさらに進む一方で、辺野古「移設」はいっこうに進まず、2014年の「移設」計画はすでに崩れている。2006年の日米合意はもはや米国にとっては足かせとなっている。
粘り強く続けられてきた沖縄の辺野古新基地建設反対運動は、いまや「県外移設」を掲げなければ沖縄では選挙で勝てない状況を作りだしている。焦りにかられた沖縄防衛局が自爆的な愚行をくり返していることに示されるように、もはや日本政府に辺野古新基地建設を進める力はない、という判断が、米国政府内でも広がっているのだろう。
米国からすれば中国への軍事的対抗は空軍・海軍が主力となり、海兵隊はグアムのほかにオーストラリア、ハワイ、フィリピンなどに分散してローテーション配置しても、現在の輸送能力、機動能力からすれば問題はない、という判断だろう。在沖海兵隊の海外移転と辺野古「移設」、嘉手納より南の基地返還というパッケージが崩れるなら、辺野古に新基地を造らなければならない理由はない。問題は、沖縄に大規模な米軍駐留を維持することで、日本の「平和と安全」が守られるとする日本政府の姿勢にある。
軽武装・経済重視・米国依存という吉田ドクトリン以来60年余、日本の政治家・官僚の大多数は、日米安保体制の基地負担を沖縄に集中させ、米国の軍事的庇護の下で「平和と安全」、経済発展を確保することを自明のこととしてきた。沖縄から基地の過重負担に対しどれだけ抗議と反発の声が上がっても、無視・抑圧・懐柔をくり返し、改めようとしなかった。自公政権が崩壊し、民主党政権に替わっても、変化の兆しは短期間で潰えた。
政府がいう沖縄の「負担軽減」とは、沖縄への負担集中は不問に付し、あくまで「沖縄問題」として内部処理することで、日米安保体制の問い直しが全国的課題として広まることを防止しするものだ。沖縄に米軍専用施設の74%を集中させ、本来は日本全体の問題であるのに「沖縄問題」として矮小化することで、米軍基地問題はヤマトゥでは、岩国や厚木、横須賀、三沢などをのぞいて、日常的関心の対象とはならない。
今回の米国防総省の見直しに対しても、沖縄の足を引っ張るのは日本政府だろう。沖縄県民のためを言うなら、県内に代替施設を造らず、普天間基地の無条件返還を米国に求めて力を尽くすべきなのだ。しかし、在沖海兵隊がいなければ日本の「平和と安全」は守れない、という虚構の抑止力論を振りかざし、辺野古「移設」推進か普天間基地の固定化か、という二者択一を迫る、その姿勢を改めようとはしない。
米国政府も現在のところは辺野古「移設」の方針を保持している。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4944219.html
水面下の動きが実際に辺野古新基地建設断念の政府声明として、日米両政府から公式に発表されないかぎり、気を抜くことはあり得ないし、新聞報道で一喜一憂することはできない。日米両政府を断念に追い込み、普天間基地の無条件返還を実現するために、沖縄内部から反基地運動をさらに大きく作りだす必要がある。
同時に、日本人(ヤマトゥンチュー)に問われているのは、沖縄への支援ではない。日米安保体制の下で沖縄に米軍基地を集中させることで築かれてきた日本の「平和と安全」の歪みを、自らの「日本問題」として正すことだ。そして、日米安保体制がアジアの熱戦に果たした役割を認識し、憲法9条と日米安保条約を併存させることにより作り出された日本の「平和と安全」の実質を問い質すことだ。これは沖縄人にとっての課題でもある。