2日(日)は午前8時39分頃、N4地区に丸政工務店の作業員たちが到着したようだった。その後、3人の作業員がヘリパッド建設現場に入り、森の向こうから時折、話し声や何かを動かすような聞こえていた。9時15分に作業員たちはゲートから見て右手奥の方に移動し、軽作業をしているような音がしばらく聞こえていた。9時42分頃に車が去る音が聞こえ、その後は静かな状態が続いた。日曜日であり、現場の点検をして休みを取ったようだ。
3月3日(月)の高江N4−2ヘリパッド建設現場は、午後8時26分に白の軽ワンボックスカーが現場に入り、同40分に出て右奥の方へ去っていった。作業員が1人か2人で現場の様子を確認したようだった。その後、N4地区で人や車の動き、工事音などは確認されていない。
3日は3月に入って最初の月曜日ということで午後12時から、基地の県内移設に反対する県民会議の呼びかけによる集会がメインゲート前で行われた。同会議の山城博治事務局長から、3月以降のヘリパッド建設工事をいっさい許さないこと、すぐに重機などの建設機器や作業員を基地の外に出させよう、という訴えがなされた。
続けて、2月末から3月1・2日にかけての工事の様子や反対行動の取り組み、へリオパッドいらない高江住民の会や大宜見村憲法九条を守る会からのあいさつがあった。沖縄戦の際、米軍に撃沈された学童疎開船・対馬丸の生存者である平良啓子さんから、連日高江の現地行動を取り組んでいる皆さんへのねぎらいと、沖縄戦体験者としてヘリパッド建設反対の取り組みを広げていきたい、という思いが語られていた。
2007年にヘリパッド建設工事が始まってから、初めて3月以降も工事を続けている沖縄防衛局、丸政工務店に強く抗議する声や、県の赤土流出防止条例に違反している工事の実態を明らかにするために、県の環境保全課による立ち入り調査を求める声もあがった。3月に入っても高江では、ヘリパッド建設反対の行動が、工事終了まで毎日取り組まれる。多くの皆さんの参加をお願いしたい。
午後1時15分頃、メインゲートに沖縄防衛局の車が3台やって来た。N4ヘリパッド建設現場の状況を見に来た、ということだが、ニヤニヤ笑いながら様子を見ている職員もいた。3月以降は使わないことになっている重機類をすぐに出すように、という要求に沖縄防衛局は、現場を見てから判断する、と答えていた。状況によっては重機を使うことをにおわせた発言で、工事で出た赤土の残土量を確認し、丸政工務店と処理方法を会議することも考えられたので、強く抗議した結果、沖縄防衛局は引きあげていった。
http://www.youtube.com/watch?v=YVEmcMI0_MY
3日はハンビ−や大型トラック、大型バスを連ねて米軍が北部訓練場に入った。それと併せるようにMV22オスプレイが夜間訓練を行っていて、メインゲート北東側のヘリパッドに2回着陸していた。1回目は15分以上着陸していて、爆音が夜の森に轟いた。東の空に飛び去った時は後9時40分を過ぎていた。
飛行機の爆音被害で鶏が卵を産まなくなったり、牛が流産したなどの事例がある。同じことがノグチゲラなどやんばるの鳥類においても懸念される。ヘリパッド建設工事だけでなく、オスプレイやヘリの訓練も米軍は止めるべきであり、沖縄県はそれを米軍に求めるべきだ。